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山口県・美祢市

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)長登銅山跡美祢市

長登銅山跡

長登銅山跡は、山口県のほぼ中央、国定公園秋吉台の東南麓に位置する。この地に は,東西1.6km、南北2kmの範囲内に奈良時代から昭和期にかけての多数の銅、 コバルト、孔雀石、鉄鉱石等の採鉱跡や精錬所跡が知られているが、大切谷と呼ばれ る小谷とその周囲の斜面地には古代の銅の採鉱跡・精錬所遺跡などが所在するととも に、大量の精錬滓(からみ)が堆積している。
 長登には、「奈良の大仏に銅を献上したので、奈良登と呼ばれていたのものが、訛 って長登になった」という地名伝説があったが、昭和47年、町史編纂のための調査 で、奈良時代後半の土器とからみが採集されたことを契機に、美東町教育委員会によ る調査が開始された。平成10年度までに、多次にわたる分布調査、発掘調査が行な われ、遺跡の範囲や内容が確認されることとなった。さらに、昭和63年には,奈良 東大寺出土の大仏建立時の青銅塊の理化学分析が行なわれ、長登銅山産銅であること が判明した。
 銅山跡の中心的位置にある大切精錬遺跡は、大切谷内の小丘陵を檀状に整地し、そ こに、水を利用した選鉱作業場や一辺3mの方形区画の中心に炉を設置した精錬作業 場、大溝、暗渠排水溝、柵などを設けたもので、銅のほか、鉛などの生産・管理等に あたったものと推定される。出土遺物も豊富で、土器類のほか、要石、石槌、銅から み、炉壁片、羽口、坩堝、銅・鉛の小片、銅鉱石等の精錬関係遺物や、800点余り の木簡、多量の木製品、自然遺物なども出土している。出土遺物の分析から、遺跡は 主に8世紀初頭から11世紀にかけてのもので、時代が下るにつれて谷の上手に移動 していることが判明した。また、木簡は、銅インゴットや炭に関するものや、塩や米 の運搬や支給に関連するものなど、多岐の内容にわたっており、律令国家による長登 銅山の運営・管理、古代の銅生産技術、各地との関係などを示している。さらに、大 切谷の奥に所在する榧ヶ葉山(標高341m)の山頂から南斜面にかけては、30ヶ 所以上の銅の採掘坑口跡が確認されている。これらの採掘坑は、鉱脈を追って掘り進 まれ、蟻の巣状になっており、複数の坑口とつながっている。坑内では、奈良時代前 半の須恵器が原位置で発見され、採掘活動がそれまで遡ることが判明した。このほか、 大切谷とその周辺地には、平安中期の山神精錬遺跡、江戸期に全国に名を馳せた顔料、 瀧ノ下緑青の原料である孔雀石の採鉱跡、大正8年廃業の花の山精錬所跡などが存在 する。
 以上のように、長登銅山跡は、日本最古の銅山跡であり、古代の鉱山、銅の採掘・ 生産技術、律令国家による銅山経営の実態を具体的に示すとともに、奈良東大寺の大 仏建立など、国家的な事業に密接に関連した遺跡である。また、鉱業を中心に展開し てきたこの地域の古代から近代にかけての変遷をよく示している。よって史跡に指定 し、保護を図ろうとするものである。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)秋吉台美祢市

秋吉台

秋吉台は長径約17キロメートル、短径約7.5キロメートル、広さ約130平方キロメートル、海拔200〜400メートルの台地であって、主に古生代の石灰岩から成り代表的なカルストである。
台地にはドリーネ、ウバーレ、ポリエ、カレンフエルド、石灰洞などカルスト地形の諸要素がよく発達し、またカルスト発達の諸時期の地形をよく現わしている。次に台地の石灰岩には紡錘虫、珊瑚など種々の化石を多量に産し、なお、これに大規模な地層逆転構造があって、学術上価値の極めて高いものである。
S39-06-005秋吉台(特別天然記念物).txt: 秋芳町と美東町にまたがる石灰岩台地で、わが国で最大の規模をもつカルスト地形として、すでに昭和36年に天然記念物に指定されているが、今回これを格上げしたものである。台上にはドリーネ・ウバーレ・ポリエ・カレンフェルドその他カルスト特有の諸現象が標式的にあらわれ、地下には秋芳洞はじめ多数の石灰洞が発達している。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)万倉の大岩郷美祢市伊佐町奥万倉

万倉の大岩郷

英輝閃緑岩ノ大岩塊ガ累々堆積シテ成セル石海ニシテ岩郷ハソノ方言ナリ岩塊ノ大サハ徑約一メートルヨリ約六メートルニ及ビ岩郷ノ広サハ數町歩ヲ占ム蓋コノ地ノ石海ハ往古ノ山崩ノ跡地ガ風化侵蝕ヲ蒙リテ生シタルモノニシテ地質現象トシテ珍シキモノナリ

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)大正洞美祢市

大正洞