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徳島県・美馬市

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))青木家住宅煉瓦塀徳島県美馬市美馬町字宮前225

青木家住宅煉瓦塀

屋敷地南側境を仕切る塀。東方は屋敷への進入斜路にそって登る形で,西方は周辺より一段高い場所に位置する。約1間おきに控え壁がある点は土塀と似るが,形式はより簡略で控え壁を外側にみせる点は対照的。一部改造はあるが屋敷構えの主要な構成要素である。

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))青木家住宅土塀徳島県美馬市美馬町字宮前225

青木家住宅土塀

屋敷地の北側(道路側)と東側の境を仕切る塀。下方を石積み,上方は屋敷側に控え壁を約1間おきに付けた形式で,道路側は漆喰仕上げ,東側はモルタル仕上げとする。道路側の頂部は斜めに並べた煉瓦の上に笠木を置き意匠に特段の工夫がほどこされている。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)郡里廃寺跡美馬市

郡里廃寺跡

S50-12-042[[郡里廃寺]こうざとはいじ]跡.txt: 吉野川の北岸、扇状地上に営まれた白鳳時代創立の寺院跡である。早くから立光寺跡として知られていたものであり、調査の結果法起寺式伽藍配置をとるものであることが判明した。塔跡基壇は各辺12メートルをはかり、塔軸部初重の1辺は中の間が2.3メートル、両脇間はそれぞれ2.08メートルと復原することができる。塔心礎は旧地表下に据えたものであり、中央に径13センチ、深さ6.5センチの舎利孔が穿たれている。心礎上に据えた心柱は、南北径1.06メートル、東西径1.08メートルをはかる不整八角形を呈し、心柱四周を根巻板で囲むことが知られた。金堂跡は東西18メートル、南北15メートル前後と復原される。塔、金堂間の心を東西に47メートルへだてた位置に石敷列が走り、その下方に土塁を発見しており、また塔、金堂心より南北に60メートルをへだてた位置で同様な遺構を発見し、寺域をほぼ知ることができる。
 現段階では徳島県下最古の寺院の一つとして、また、遺構をよくとどめている寺院跡として、きわめて重要な寺院といえるであろう。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)段の塚穴美馬市美馬町

段の塚穴

山麓ノ傾斜地ニ東西ニ並ビタル二基ノ圓墳アリテ段ノ塚穴トス即チ東ニ存スル圓墳ノ封土ハ底徑約百三十尺高サ約三十尺石槨ハ緑泥片岩及結晶片岩等ノ自然石ヲ以テ築キ玄室ト羨道ノ二部ヨリ成リ全長約四十六尺口ヲ南ニ開ケリ 玄室ハ奥幅十尺、長サ十五尺、最高約十五尺アリ 天井ハ前後ヨリ持送リニ築キ上ゲ左右側壁モ多少内面ニ傾斜シ恰モ寶形造ノ屋根裏ヲ見ルノ觀アリ羨道ハ入口幅約七尺五寸、長サ約二十八尺、高サ約七尺アリ
此ノ圓墳ノ西約八十尺ヲ隔テテ存スル圓墳ノ封土ハ底徑約七十五尺高サ約二十四尺、石槨ノ石材及構造ハ略々等シク全長約三十尺アリテ口ヲ南ニ開ケリ玄室ノ奥幅六尺四寸、長サ十四尺八寸、最高約十四尺六寸、奥壁ノ中間ニ幅約三尺ノ石棚ヲ設ケ 天井ハ側壁略々直立シ前後ヨリ各三枚ノ板石ヲ以テ持送リニ築キ上ゲタリ 羨道ハ入口幅約四尺八寸長サ約十四尺、高サ約四尺三寸アリ共ニ早ク發掘ノ厄ニ遇ヒ遺物ノ徴スベキモノナキモ何レモ椀貸傳説ヲ存シ石槨ノ構造頗ル雄大ナリ