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高知県・土佐市

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))田所内科医院主屋高知県土佐市高岡町字明官寺甲2018-2

田所内科医院主屋

市中心部にある診療所兼住宅で、敷地中央に北面して建つ。入母屋造桟瓦葺の平屋建で、北東二面に下屋を廻す。正面に濡縁、奧の前後に各4室を配し、西端に設けた座敷二室を診察室と検査室にあてる。旧市街の歴史的景観を伝える、地域に親しまれる現役の医院。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)土佐遍路道 
竹林寺道
禅師峰寺道
清瀧寺境内
青龍寺道
観自在寺道
高知県土佐市・宿毛市

土佐遍路道 <BR/>竹林寺道<BR/>禅師峰寺道<BR/>清瀧寺境内<BR/>青龍寺道<BR/>観自在寺道

遍路道は空海(諡号(しごう)は弘法大師(こうぼうだいし))ゆかりの寺社を巡る全長1,400kmにも及ぶ霊場巡拝の道で,弘法大師の足跡を追体験する四国を一周する信仰の道である。指定にあたっては,阿波・土佐・伊予・讃岐の旧国名を冠し,それぞれの遍路道を呼称することとしている。土佐遍路道は,阿波最後の札所第23番札所薬王寺と第24番札所最御崎寺(ほつみさきじ)の間にある国境の宍喰(ししくい)峠から,土佐最後の札所第39番延光寺(えんこうじ)(高知県宿毛市)から第40番札所観自在寺(かんじざいじ)に向かう国境の松尾峠までの区間である。青龍寺道は第35番札所清瀧寺(きよたきじ)から第36番札所青龍寺に至る道の一部で,途中,塚地坂(つかじざか)を越える部分に旧状をとどめている。峠の展望台からは宇佐の集落や宇佐湾,青龍寺の山並みを望むことができる。塚地坂を南に下って沢と合流する付近の岩塊には丁石としての文字が刻まれ,それに尊像が添え彫りされている。また,坂を下りきった宇佐側の沿道には磨崖仏が存在し,その一部には高岡郡域の中世期の石仏の特徴が見出される。青龍寺境内に慶長6年(1601)の接待供養塔が存在することをふまえると,遍路が一般化する時期以前から信仰の道として利用されていたことが推測される。遺存状況が良好であり,土佐における遍路道の実態を考える上で重要である。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)五色ノ浜の横浪メランジュ高知県土佐市

五色ノ浜の横浪メランジュ

土佐市横浪半島の五色浜の海岸には,四万十帯とよばれる海洋プレートが日本列島にやってきた際に,日本列島に付け加わった地層(付加体)が,標識的に分布する。わが国のような弧状列島は,海洋プレートとそれに伴った地層の付加により成長してきたことが分かってきたが,横浪半島は,こうした学説が提起・証明された場所として世界的にも重要。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)甲原松尾山のタチバナ群落土佐市

甲原松尾山のタチバナ群落

タチバナは古くから日本人に親しまれ、万葉集では初夏を彩る花として詠まれている。平安京の紫宸殿南庭に植えられた「右近の橘」は著名であり、文化勲章はタチバナの花をモチーフとしてデザインされている。またミカン類の野生種として遺伝資源としても重要である。しかし、野生の生育個体数は少なく、環境省のRDBに挙げられている。
 指定予定地は土佐市甲原地区の松尾山東面の小さな尾根上に位置する。ここは石灰岩が露出した急傾斜の岩角地で、ここに約200本のタチバナが生育し、日本最大規模の群落を形成している。このような石灰岩の露岩地帯であるため、生産活動には利用されず、タケや常緑樹などの高木の侵入も少なく、タチバナが生き残ることができた。タチバナは好石灰岩植物ではないが、陽樹で常緑高木等に覆われる衰退するため、このような特殊な立地で生き延びてきたものと考えられた。タチバナの学名は明治中期に牧野富太郎が発表したが、牧野が報告した最初の産地の一つがこの指定地と考えられている。
 このように、古くから親しまれたタチバナの最大規模の群落として学術的価値が高く重要である。