カテゴリで見る
宮城県・名取市
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)飯野坂古墳群名取市飯野坂・名取が丘
宮城県の中央部、名取平野に臨む名取丘陵は、東北地方でも有数の大規模な古墳が集中して営まれた所として著名な地である。この丘陵は比高約30メートルを測り、平野に面する東端には、東北地方最大の雷神山古墳、西方には大塚山古墳、さいの窪古墳群等がある。飯野坂古墳群は丘陵の北端にあり、前方後方墳5基、方墳1基が集まって古墳群を形成している。東端の薬師堂古墳は全長68メートル、後方部1辺35メートル、高さ6.4メートル、前方部最大幅21メートル、高さ約3.6メートルで前方部を東南に向けている。次いで、ほぼ中央にある宮山古墳は全長70メートル、後方部1辺35メートル、高さ5.5メートル、前方部最大幅25メートル、高さ3.5メートルで前方部を東南方向に向けている。西部には東から観音塚古墳、山居古墳、山居北古墳がある。観音塚古墳は全長63メートル、後方部1辺30メートル、高さ6メートル、前方部最大幅23メートル、高さ5メートルあり、前方部を東南に向けている。山居古墳は観音塚古墳とほぼ並列しており、全長60メートル、後方部1辺30メートル、高さ5.3メートル、前方部最大幅30メートル、高さ3.5メートルある。山居北古墳は全長42メートル、後方部1辺20メートル、高さ3メートル、前方部最大幅12メートル、高さ1.3メートルほどであり、前方部を東南方向に向けている。なお、観音塚古墳の北方には観音塚北古墳がある。1辺の長さ16メートル、高さ2.5メートル程の方墳である。これらの古墳では従前から出土品や埴輪、葺石等は知られていない。
本古墳群は、前方後方墳と方墳で形成されるといった特色があり、前方部の発達の状況からみて、年代的な推移があろうが、おおよそ古墳時代中期に形成されたものと考えられる。
本古墳群は、単に名取丘陵上に築成された数々の古墳の性格と意義を考える上でも重要なだけでなく、全国的にみても前方後方墳と方墳で構成される特色ある古墳群であり、古墳時代研究上欠くことのできないものである。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)雷神山古墳名取市植松
台地の上に存する前方後円墳でほぼ南面している。墳丘は主軸の長さ約168メートル、後円部の径約85メートル、高さ約8.5メートル、前方部の径約87メートル、高さ約5メートルを有する宏壮なもので、前方部は比較的低平であり、後円部は三段に築成され、周囲に掘の跡も残っている。東北地方においてこの種の壮大な前方後円墳がほぼ旧規をとどめて存することは稀有の例であり、学術上の価値が高い。なお、この古墳の北方に接近して小塚と称せられる二段築成よりなる円墳が存する。
昭和43年、既指定地に堀跡・土塁などの遺構と北方にある小古墳と思われるものが追加された。
国指定文化財(重要文化財)旧中澤家住宅(旧所在 宮城県名取市愛島塩手)宮城県名取市手倉田字山216番地93
仙台平野に残る中型農家。 田の字型の四部屋と土間からなる間取りで、この型は名取市とその周辺に多い。 土間には太い丸太状の柱が立ち、旧仙台藩領の民家の特色を示している。
国指定文化財(重要文化財)洞口家住宅(宮城県名取市大曲)宮城県名取市大曲字中小路26番地
洞口家は、名取平野の水田地帯に敷地を構える農家である。主屋を中心とした宅地の正面に表門を開き、表門の後方に馬屋(まや)、主屋の後方に座敷蔵と味噌蔵を建てる。表門の正面には道路を挟んで米蔵が建つ。宅地の背後には「いぐね」と呼ばれる防風林を設ける。
洞口家住宅は旧伊達家領内(りょうない)を代表する大型農家で、当地方の伝統的な屋敷構えを濃厚に留めており、顕著な地方的特色が認められる。