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福岡県・築上郡上毛町

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)唐原山城跡築上郡上毛町

唐原山城跡

唐原山城跡は、福岡県東南部、周防灘に注ぐ山国川河口付近に所在する新たに発見された古代山城跡である。南北約0.8km、東西約0.6km、比高約70mの独立した丘陵上に立地し、北方の古代官道推定線や周防灘に向かった眺望は極めて良好である。周辺の周防灘沿岸には、史跡鹿毛馬神籠石、史跡御所ヶ谷神籠石などの古代山城跡が所在する。
 唐原山城が所在する丘陵は、遺跡が発見される以前から列石の存在が地元で知られていた。平成10年秋に大平村教育委員会が踏査を実施した結果、丘陵上に古代山城の列石の特徴である上部にL字状の切り込みを施した花崗岩製の切石列と土塁を確認した。さらに丘陵北西部から東、南にかけての4箇所で、多いものでは3石がつながった切石列を確認した。列石が存在していない箇所においても、列石推定線に該当する箇所で幅3から4mのテラス状の平坦面を検出している。なお、5km離れた中津城の石垣に、この切石を転用していることが確認されている。丘陵の西側は友枝川に面した直線的な急斜面で、北側から東側にかけては3つの谷が入り込み比較的緩やかである。列石線は、推定で約1.7kmであり、それにより囲まれた範囲は南北約0.8km、東西約0.6kmである。城内には3つの谷を取り込んで築造しており、それぞれの谷部には水門を築成している。そのうち北部の深くて広い谷にある第1水門と、南東部の浅い谷にある第3水門を調査した。
 第1水門は北側に延びる谷部に位置し、長さ37m、奥行き13mと最大の規模をもつ。石列の前面は谷を塞ぐように基底部に18石を並べ、二段積みで高さ1.6mを測り、奥に向かって人頭大の川原石を敷きつめている。石列の東端には幅1.2m、長さ12mの城門を築いている。石列西端には、全長13.6m、幅0.8mで、開口部の高さ0.45mの花崗岩切石を多用した大規模な暗渠を設けている。第3水門は東南の谷部に位置し、長さ7m、奥行き9mを測る。中央部に花崗岩切石を用いた暗渠を設け、排水口前面に奥行き1.6m、幅7mの石敷によるテラス状平坦面を造っている。これは、排水による侵食防止を意識したものと考えられる。水門の両側には、それぞれ2条の土塁がつながっており、水門の内側で礎石建物も検出した。
 唐原山城跡は、築造時期を直接示す遺物は出土しなかったものの、その構造と他の類例から7世紀後半頃に築造されたと考えられる。この頃は唐や半島諸国との対外関係が緊張した時代であり、古代山城跡が対馬から近畿地方まで約30箇所で知られている。北部九州のもので文献資料に記された城に比定できない遺跡は以前は「神籠石」と呼ばれ、大規模な水門や石垣が残るものが多い。唐原山城跡は、列石が一重であることや大規模な石垣を持たない等の点でこれらとはやや構造を異にするものの、7世紀の対外関係を示す遺跡として極めて重要である。よって、史跡に指定し保護を図ろうとするものである。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)大ノ瀬官衙遺跡築上郡上毛町

大ノ瀬官衙遺跡

大ノ瀬官衙遺跡は,周防灘に面した福岡県東端の築城郡新吉富村に所在する,古代郡衙跡と考えられる遺跡である。この地域は古代の豊前国上毛郡中にあたり,遺跡は東に山国川,西に佐井川に挟まれた幅1.5kmほどの低い段丘上,標高約30mに立地する。この段丘面は小さな起伏があり,遺跡地は周辺より高く南側から西側にかけては1〜2mほど低い谷となっている。周辺には西北西から東南東の方向の条里地割が残り,この地割に沿った古代の官道と考えられる道路遺構が確認されており,本遺跡はこれに面している。
平成7年度に村教育委員会が圃場整備事業に伴う確認調査を実施したところ,四面廂付大型建物や方形に区画する柵列等が発見されたことから,周辺一帯の確認調査を9年度まで継続し,遺跡の全容が把握できたことからその範由を事業計画から除外し保存を図った。
主な遺構は,柵列による方約半町の中心となる区画と,この区画の内外に規則的に配置された掘立柱建物群である。主要な建物等の遺構の方向は,周囲の条里地割とほぼ同じく北から35度から40度ほど西に傾き,これより振れの少ない方向の建物や柵列もいくつかある。
中心部の方形区画は,南北約59m,東西約53mで,東辺が四脚門を備えた施設の正面となる。区画内の中央は広場となり,西側の正面奥に桁行7間,梁間4間の四面廂付大型建物が配置され,広場北側には,これと直交する方向の,桁行12間,梁間2間の長大な建物が配置される。建物と柵列の配置と構造から,この空間が政庁の中枢部で,正面の四面廂付大型建物が正殿,長大な建物が脇殿と考えられる。正殿と考えられる建物は1回の建替えが認められる。脇殿は広場を挟んで2棟が向かい合う例が多いが,ここでは一方を省略した形であり,そのため正殿の主軸は方形区画のやや南側に偏る配置となっている。なお,方形区画の西辺と南辺の外側には3〜5mの間隔でこれと平行する小柱穴の列があるが,柱穴の規模や間隔・配列は不揃いであり,区画との関係や性格は不明である。
方形区画の周囲にもこれと一体となった施設と考えられる約20棟の掘立柱建物が配置されている。これらの建物群は東西・南北約150mの範囲に分布し,その南辺を除く3辺には建物群の区画施設と考えられる柵列や溝がある。これらの建物の規模・構造は多様であり,正殿の西側後方に当たる位置には桁行10間,梁間2間の大型の建物があるほか,東側には倉庫とみられる桁行・梁間とも2間の建物もある。
出土遺物は,須恵器・土師器などのほか円面硯,緑釉陶器,瓦などがある。土器からみて,遺跡は8世紀前半から中頃に成立し,8世紀末から9世紀初頭頃に廃絶したものと考えられる。遺跡は脇殿が一棟のみの構成であるが,方形区画と建物の規模・配置から郡衙の政庁とみられ,豊前国上毛郡衙と考えられる。郡衙政庁の全件構造が明らかになった例として貴重であり,また保存状況もきわめてよく郡衙の典型例となる遺跡である。よって,史跡に指定し保存を図るものである。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)穴ヶ葉山古墳築上郡上毛町

穴ヶ葉山古墳

低キ丘陵上ニアリ封土ハ圓型ニシテ周圍ニ濠阯ヲ存ス石室ハ略南ニ口ヲ開キ玄室及羨道ノ二部ヨリ成リ羨道ノ西壁ニハ木葉、鳥、武具等ノ線彫アリ 嘗テ内部ヨリ祝部土器及金具等ヲ發見セリ

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)友枝瓦窯跡築上郡上毛町

友枝瓦窯跡

丘陵ノ斜面ヲ利用シテ築造セラル其ノ能ク舊態ヲ保テルモノハ自然ノ岩層ヲ隧道状ニ穿チテ底部ヲ十數級ノ階段トナシ奧部ニ煙出ノ設アリ附近ニハ奈良朝時代ノ瓦片多ク殘セリ