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福岡県・築上郡築上町
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)旧藏内氏庭園福岡県築上郡築上町
旧藏内氏庭園は,福岡・大分県境の筑紫山地に水源を発し,周防灘へ注ぐ城井川(きいがわ)の左岸の田園地帯に位置する。藏内氏は江戸時代に庄屋を務めた家柄で,明治中期から昭和中期にかけて炭鉱及び鉱山の経営により財を成した。庭園を含む現存する屋敷などは,明治中期から昭和初期にかけて本邸として整えられた。
庭園は,玄関前の表庭,主庭,3か所の中庭,裏庭の六つの空間から成る。主庭は園池を中心とし,中島・枯滝(かれたき)石組・築山などを設け,随所に飛び石を打つ。また山燈籠(やまどうろう)などの石燈籠を各所に配置するほか,クロマツ・イヌマキ・カエデ類などの高木,ツツジ類などの低木を植えている。また園池北西部には枯流れなどが造られている。
三つある中庭は,自然石の水汲み場を設け,六角燈籠,飛び石などを配置するもの,短冊形に加工した石を縦に2列に敷き並べて通路とし,分岐点に円形の切石を用いるものなど,多彩な意匠を特徴とする。
旧藏内氏庭園は九州の炭鉱経営者が造営した代表的な近代庭園の一つであり,芸術上の価値及び近代日本庭園史における学術上の価値は高い。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)船迫窯跡築上郡築上町
船迫窯跡群は,英彦山系から北へ延びる支脈に連なる丘陵北端に位置する。昭和35〜45年頃の分布調査により広く存在が知られていたが,県営圃場整備事業に伴う平成6年度以降の発振調査により,須恵器窯跡や瓦窯跡・工房跡等が確認されたため、圃場整備地区から除外され保存されることとなった。
遺跡は茶臼山東窯跡,堂がへり窯跡,堂がへり遺跡からなる窯跡群であり,大字名をとって船迫窯跡群と総称している。なお,既に失われているが,宇土窯跡もこの窯跡群に含まれる。茶臼山東窯跡は丘陵斜面に5基の窯があり,1〜3号窯と5号窯が6世紀後半の須恵器窯で,4号窯が7世紀中頃に須恵器と瓦を焼成した兼業窯である。いずれも地下式ないし半地下式の窖窯とみられる。茶臼山東窯跡の東方約200mの丘陵には、4基の窯からなる堂がへり窯跡がある。斜面中腹に構築された1・2号窯
では8世紀後半に豊前国分寺所用瓦を焼成し,裾部の3・4号窯でほ6世紀末から7世紀初頭に須恵器を,7世紀後半に瓦を焼成している。いずれも地下式の窖窯である。2号窯はいわゆる有階有段床式で全長10mあり,燃焼部側壁を貼り直している。 4号窯は全長9.6m,いわゆる無階有段床式で,前庭部は広く平坦な作業面となっている。
堂がへり遺跡は堂がへり窯跡の北に広がる平坦面に設けられた工房跡である。6世紀末〜7世紀初頭の遺構には、粘土溜めと考えられる長径4m前額の楕円形の土坑などがあり,堂がへり3・4号窯での須恵器生産に関連するとみられる。8世紀後半の遺構は豊前国分寺所用瓦製作工房と考えられ,桁行10間(約30m),梁間・2間(約6m)の身舎に南北に庇の付く大型の掘立柱建物2棟などがある。2棟の大型掘立柱建物は,約6mの間隔で柱筋を揃えて南北に並んでおり,瓦の製作・乾燥等に使用された施設と考えられる。
出土品には,須恵器,百済系単弁八葉蓮華文軒丸瓦,鴻臚館系複弁七葉蓮華文軒丸瓦,法隆寺系忍冬唐草文軒平瓦,鴟尾,鬼瓦,平瓦,丸瓦,粘土のほかに,ミニチュア土器,須恵質の有孔円盤などがある。茶臼山東4号窯と堂がへり3・4号窯からは,供給先は不明ながら,北部九州地方では初現期に相当する丸・平瓦が出土している。
なお,宇土窯跡では9世紀前半の国分寺補修用瓦が出土している。
本窯跡は,6世紀後半の須恵器の焼成開始から7世紀中頃の初期瓦生産を経て豊前国分寺に瓦を供給するに至るまでの変遷を辿ることができ,北部九州地方の窯業史を知る上で重要である。また,掘立柱建物等の工房跡と窯跡とが一体となって,全体の構造が明らかな数少ない窯跡として極めて貴重なものであり、瓦生産の実態を知る上できわめて重要である。よって、史跡に指定し保護しようとするものである。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)本庄のクス築上郡築上町
天然紀念物調査報告(植物之部)第二輯 一〇三頁 参照
天然紀念物解説 一三六頁
根元ヨリ五尺ノ高サニ於ケル幹圍六丈五尺七寸、根元ノ周圍十丈一尺蒲生ノ樟 Cinnamomum Camphora Nees et Eberm. ニ亜ケル巨樹ナリ、住年幹ノ空洞ノ焼ケタル為メ頗ル樹勢ヲ損セリ。
国指定文化財(登録有形文化財(建造物))旧蔵内家住宅便所福岡県築上郡築上町大字上深野396
屋敷南側に開かれた入口脇にあり,中門と同じ頃の建築と推定される。寄棟造・桟瓦葺の小規模な建物であるが,腰高で石造風のコンクリート基礎上に,自然の丸柱を立て,桁や垂木も丸太とし,墨壁に丸窓を設けるなど,よく数寄屋風の意匠で纏められている。