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長崎県・諫早市
国指定文化財(国宝・重要文化財(美術品))ヱーセルテレカラフ長崎県諫早市東小路町2-33
送信機と受信機の2台からなる指字式電信機である。各収納箱墨書銘に「元治元年甲子八月」「中村考」「ヱーセルテレカラフ」と記され、本電信機が元治元年(1864)以前に中村という人物により考案された、「ヱーセルテレカラフ(wijzer telegraaf、指字電信機)」と称した器機であることが示唆される。
本機は、送信機の電鍵を押すことにより、受信機側の鐘を叩く機構と、送信機の文字盤を回転させることにより、受信機の指字針を回転させて文字を伝える機構を有する。両機構とも送信機から電気信号を回線により伝達し、受信機中の電磁石により動力に変換して通信手段とする。安政元年(1854)刊の川本幸民著『遠西奇器述』中のロゲマン式電信機の記述および図と本機とを比較すれば、本機には鐘を叩く機構が付加される点、電磁石の形状や駆動装置の配置を変更する点など、各所に創意工夫のあとがみられる。真鍮および鉄製各部品は精緻で加工技術の高さを示すこと、それらの形状は木製台座、脚等にも共通して装飾性を意図したものであることなどの特徴から、時計師の技術、意匠をもとに幕末期に制作された電信機と判断される。なお、実用時には電池、電線が必要であるが、現在は失われる。
嘉永7年(1854)5月、佐賀藩主鍋島直正は同藩精煉方の中村奇輔、田中近江・儀右衛門父子らに電信機制作を命じた。安政4年、鍋島直正は佐野常民、中村奇輔を遣わし、完成した電信機を島津斉彬に贈ったと伝える(『鍋島直正公伝』)ことから、同年までには精煉方にて電信機制作に成功したと認められる。一次史料に恵まれないが、前述した本機の特徴から、箱書にみられる「中村」は佐賀藩精煉方の中村奇輔を指し、時計師として高い技術を有した田中儀右衛門らも本電信機制作に関与したと考えられる。
本件は、蘭学の知識を基礎にわが国にて改良、制作された指字電信機で、幕末期の国産電信機として伝存する唯一の遺例であり、わが国における西洋科学技術の受容の在り方を示して学術的価値が高い。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)女夫木の大スギ諫早市小川町
S50-5-136[[女夫木]めおとぎ]の大スギ.txt: 女夫木の大スギは、国鉄[[諫早]いさはや]駅の南東6キロの女夫木集落の路傍にある。幹のまわりは目通りで9.5メートル、樹高32メートル、推定樹令500年といわれる大木で、樹形も整いみごとである。
このスギの由来などについては不明であるが、元来2本あったいわゆる夫婦スギであったらしく、いつの頃かそのうちの1本が枯れたらしい。女夫木という地名もこのスギによるものという。樹勢も盛んでその樹形は、スギの典型的な標本の1つとして貴重なものである。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)多良岳ツクシシャクナゲ群叢諫早市高来町
ツクシシヤクチゲは葉裏に褐色の密毛があり七辨の大きな花を着ける。北九州特産のシヤクナゲであり、日本産シヤクナゲ中最も園芸価値あるものとして知られている。
上記の林班は俗にシヤクナゲ平といひ常緑樹を主とする樹林に被はれ、樹下、林縁、崖上等には大小無数のツクシシヤクナゲが混生し、六月花の満開期は全山花の山と化す。
S48-05-163多良岳ツクシシャクナゲ群叢.txt: 多良岳山頂西南部金泉寺の中腹(標高約600メートル)の急斜面にある町有林(約5ヘクタール)は、昭和26年6月9日にすでに指定されているが、アカマツ・ツガ・イヌグス・スダジイなどから成る自然林のなかにツクシシャクナゲが広範囲に分布しており、多良岳地域における本種の代表的な群落と認められるのでこれを追加指定した。
また従来の指定地域(いわゆるシャクナゲ平)は、戦後間もないころ薪炭用材伐採に伴い次第にツクシシャクナゲの生育に不適当な環境に変化し、現在ほとんどその自生をみることのできない状態になったので、その地域の指定を解除する。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)小長井のオガタマノキ諫早市小長井町
小長井より黒仁田に通づる道路の右側道路面より高さ約2メートルの畑縁にあって道路まで根を下す。道路に面する根株の幅3メートル、幹は畑面上約1.50メートルにて分岐し東の枝の周囲5.43メートル、西の枝の周囲7.95メートルあり樹高17メートル、樹上にはエノキ、クスドイゲ、ムクノキ、ヒメイタビ、フウトウガヅラ、サネカヅラ、サイコクイボタ、ハゼノキ、イヌビハ、が着生し樹勢すこぶる旺勢蓋し日本一のオガタマノキの巨樹である。