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熊本県・宇土市
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)轟貝塚熊本県宇土市
有明海沿岸部に位置する縄文時代早期末から後期中葉にかけての貝塚を伴う集落。九州や西日本の縄文時代早期末から前期の指標となる轟式土器が出土する標式遺跡であり、中心部に形成された同時期の貝層の内外からは埋葬が多数検出されている。当時の生業や古環境、墓制を知る上で重要である。
国指定文化財(重要有形民俗文化財)宇土の雨乞い大太鼓 附関連資料熊本県宇土市宮庄町406番地の2
熊本県宇土市では,夏の干天時の雨乞いを始め,田植後のサナブリや八朔の豊年祭りなどのときに,大きな太鼓を担ぎ出して叩き,降雨や豊作を祈願する行事が伝承されてきた。これらの行事は,戦後の社会変動の中で多くが失われたが,市域には29基の雨乞い大太鼓が残されている。
雨乞い大太鼓には,長胴太鼓とドラ太鼓の二種がある。いずれも,ケヤキの大木を刳り貫いて作られた鋲留め太鼓で,面径が1mを超えるものも多く,近世から明治初期にかけて製作されている。
長胴太鼓は,26基が収集されている。台車に載せたり,担い棒に括り付けて担ぎ,鼓面を横から叩く形式で,両側の縁に木星と呼ばれる多面体の飾りが付くのが形態上の大きな特徴である。また,ドラ太鼓は,湾曲し装飾化した枠の付いた台車に吊り下げ,鼓面を上から叩く形式で,3基が収集されている。
これらの太鼓のほかに,太鼓の胴に掛けた油単や太鼓のばち,担ぎ棒,太鼓とともに使用された鉦(かね)や笛,革の張替時などに書かれた古記録もあり,関連資料として附にしている。
国指定文化財(登録有形文化財(建造物))JR三角線網田駅本屋熊本県宇土市下網田町字栗林下2097-2
宇土半島を東西に貫くJR三角線の中間駅。桁行一九メートル梁間六・三メートル、寄棟造の木造平屋建で、西南北三面に一間幅の下屋を廻らす。内部は待合室と旧事務室の間に独立した出札室を設ける。県内現存最古の駅舎建築で、地域の近代化を物語る貴重な遺産。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)宇土城跡宇土市神馬町
S52-06-023[[宇土城跡]うどじょうあと].txt: 宇土は、熊本県海岸部中央に突出する宇土半島の基部に位置し、古来肥後国の交通路の要衝になっていた。宇土城は、現在の市街地西南方にある独立丘陵に営まれた中世山城で、はじめ宇土庄地頭の宇土氏が居城とし、後に[[名和]なわ]氏が城主となった。
肥後名和氏は、南北朝時代の南朝方の武将[[名和長年]なわながとし]の後裔である。長年死後の正平年間に、孫の顕興が一族を挙げて八代庄に移り、以後、肥後南部において、相良氏ら有力豪族と拮抗していたが、顕忠の代の文亀4年(1504)に、八代の古麓城を相良氏のため陥され、益城郡木原城に移り、ついで宇土城に入った。以後天正15年(1587)、豊臣秀吉によるいわゆる「島津征伐」に際し、島津方であった名和氏が退転するまで、宇土城は同氏の居城であった。
城跡のある丘陵(西岡台)は、「三ノ城」及び「千畳敷」と呼ばれる2つの峰から成り、それぞれ頂部に平坦地があって、城の主要郭が置かれたものと思われる。事実、発掘調査によっても、中世の掘立柱建物跡が確認され、また、15〜6世紀の中国製陶磁器が出土している。
なお、天正16年(1588)小西行長が築いた宇土城(本史跡の東方平坦地に遺跡がある)の跡地は、本史跡に含まれない。