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熊本県・玉名郡和水町

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)田中城跡玉名郡三加和町

田中城跡

 田中城跡は,熊本県の北端に所在する三加和町の中央やや西側に位置し,標高104mの高さにある和仁氏の城跡である。町の西側を流れる和仁川と並行した舌状台地が南北に延びており,この台地の根元を断ち切り,独立した丘陵を造り出して城としている。
和仁氏は,菊池氏の家臣であったと言われているが,その出自については定かでない。和仁氏は,戦国期の中で多くの戦いを経ながら在地領主として生き抜いてきた。天正15年(1587)の豊臣秀吉の九州平定の後,肥後国は佐々成政に与えられた。佐々成政は,検地を強引に実施し,国衆の反発を買い,一揆が勃発した。これが肥後国衆一揆といわれるものであり,和仁氏のこの田中城は,一揆最後の拠点として籠城して戦った城跡である。山口県立文書館蔵の毛利家文庫にある「辺春・和仁仕寄陣取図」が,この時の攻防を表したものである。成政を救援し一揆を鎮圧するために秀吉によって動員された小早川・安国寺・立花・鍋島などの諸将の布陣した様子と城主和仁親実・親範・親宗の三兄弟と姉婿の坂本城主辺春親行の兵約900人の籠城の様子が描かれており,布陣の距離や秀吉軍の戦法がよくわかる。戦いは,天正15年12月5日に落城したとされ,成政も一揆の責任をとらされ自刃している。
城跡は,昭和61年から発掘調査が実施され,その結果40m×50mを測る主郭や東南北の三方向の曲輪が確認され,そこから多数の掘立柱建物をはじめ,大規模なV字堀や連棟式兵舎跡と思われる建物跡,物見櫓跡,柵列跡,井戸跡,城門跡などが検出されている。このことにより城跡の遺構の保存状態が非常によいことが確認され,かつ仕寄陣取図の建物跡・柵列・櫓跡などの状況と調査結果が一致することが確認された。また,出土品としては,多数の青磁・白磁・染付などの陶磁器類,すり鉢・火舎・土師器類等の生活用具や鎧の小札・兜の前立・刀子等の武具,鉄砲玉,炭化米等があり,時期的には16世紀後半に集中しており,田中城跡が歴史に登場する時期に一致する。
このように確認されている中で我が国最古とされる仕寄陣取図が残っており,発掘調査により絵図に描かれた遺構の保存状態が非常によいものであることが確認されていることから,戦国期の歴史を語る上で非常に重要な城跡であり,史跡として指定し,保護しようとするものである。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)江田船山古墳
 附 塚坊主古墳・虚空蔵塚古墳
玉名郡和泉町

江田船山古墳<BR/> 附 塚坊主古墳・虚空蔵塚古墳

船山古墳は台地上に築かれた前方後円墳で南西に面し封土の総長約47メートルを有する。後円部の中央に口を西に開いた横口式石棺があり前面に短い羨道状の架構を具へている。石棺はその構造頗る雄大整美で蓋は屋根型を呈し、前後面及び側面に夫々一個の縄掛突起を造り出し身は四枚の切石を組合せ、正面右の中央に戸口を穿っている。明治六年に発掘され■帶金具、履、玉類、兜、鎧、刀剣、鉄鉾、鉄鏃、馬具、土器等多数の■篏の銘のある刀身を初めとして各種の裝■の構造の特殊な点及び出土遺物の特異な点に於て我国の古墳の中でも極めて顯著なものであり、古代文化を知る上に重要な遺跡である。又塚坊主古墳は船山古墳の南々西方にあり、前方後円型で後円部の南寄りに天井部を失った横穴式石室が遺存している。虚空蔵塚古墳は船山古墳の南々西方に位置し二段築成の円墳である。
壯大にして整正な墳丘をなし、しかも特殊な外形を示している点に於て特に価値あるものであり、我国の古代文化を知る上に重要な遺跡である。
S51-6-030江田船山古墳附塚坊主古墳・虚空蔵塚古墳.txt: 国見山系に源を発する菊地川の中流域、その左岸には多くの低い台地が発達している。その一つ江田台地には史跡江田船山古墳がある。
 この古墳は全長約50メートルの前方後円墳で、後円部に組合式家形石棺が置かれ、とくに銀象嵌銘の鉄製環頭大刀の出土は本古墳を著名にし、昭和26年6月には史跡指定された。既指定地は墳丘部を中心として指定したが、昭和50年に実施された台地一帯の確認調査の結果、幅約20メートルの周濠が墳丘をめぐる事実が判明した。そのためこの地域を追加指定し、古墳全域の保存を図ろうとするものである。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)江田穴観音古墳玉名郡和水町

江田穴観音古墳

丘陵上に築かれたる圓墳にして基底徑約50尺高さ前面にて約16尺を有す。南方に口を開きて横穴式石室あり石室は美道前室主室の三部より成り巨大なる阿蘇熔岩の切石を以て構築せられ■大整齋の趣を示せり。美道は現在長さ約11尺7寸幅約6尺高さ約4尺7寸あり。前室は側壁及天井石共に一枚石より成り長さ約5尺6寸幅約7尺3寸高さ約5尺9寸を有し底部の左右に夫々一石を以てせる床を設け以て二区に分てり、主室も亦各壁及天井石は孰れも一枚の巨石によりて構築せられ長さ約8尺2寸幅約7尺9寸高さ約7尺3寸あり、天井は低き屋根裏の形を刻し底部は奥壁及側壁に接して夫々一石より成る床を設けて三区になし特殊の設備を施せり、本古墳は早く発掘の厄に遭ひ金銅杏葉等を残存する外主要なる遺物は散送せりと雖石室の構造に特色あり我国に於ける古墳中顯著なるものの一とす。

国指定文化財(重要文化財)旧境家住宅(旧所在 熊本県玉名郡玉東町)熊本県玉名郡和水町大字瀬川441番地1

旧境家住宅(旧所在 熊本県玉名郡玉東町)

熊本県北部にあるコの字型屋根の家で、土間と部屋部分を別棟に作る型から発展してできたものらしい。 外側の土壁を柱から離して作るなど珍しい手法もみられる。