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鹿児島県・鹿児島県市

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)鹿児島城跡鹿児島県鹿児島市

鹿児島城跡

鹿児島城跡は、シラス台地の南端に築かれた中世山城である上山城跡(城山)を中心とし、近世にはその麓が島津氏の居城として拡張された。近代には西南戦争も経験した重要な城郭である。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)鹿児島島津家墓所鹿児島県鹿児島市,指宿市,垂水市,姶良市,薩摩郡さつま町

鹿児島島津家墓所

鹿児島藩主(かごしまはんしゅ)島津家(しまづけ)歴代の墓所,一門家(いちもんけ)(越前(えちぜん)・加治木(かじき)・垂水(たるみず)・今和泉(いまいずみ)の各島津家)の墓所,一所持(いっしょもち)の宮之城(みやのじょう)島津家の墓所として営まれたもの。国持(くにもち)大名や有力家臣団としての威厳と風格を備え,一定の規範のもと各墓所の独自性も認められ,鹿児島藩における墓制,階層構造を知る上で貴重。

国指定文化財(重要無形民俗文化財)悪石島のボゼ鹿児島県鹿児島郡十島村

悪石島のボゼ

悪石島のボゼは,異様な容姿をもち,畏くも怖ろしいものとされており,盆の最終日となる旧暦7月16日の夕刻に現れ,人びとの邪気を追い祓う。
この日,墓地に隣接するテラと呼ぶ空地にて,3名の若者が赤土と墨を塗りつけた仮面を被り,体にはビロウの葉を巻つけ,手足にはシュロ皮やツグの葉を当てがうなどしてボゼに扮する。手には,それぞれボゼマラと称する男根を模した長い杖を持つ。
夕方,ボゼは,呼び太鼓の音に導かれ,盆踊りで人びとが集まる広場に現れる。ボゼは,ボゼマラの先端に付けた赤い泥を擦りつけようと,観衆を追い回すことから,あたりは笑いと叫びで騒然となっていく。この泥を付けられると,悪魔祓いの利益があるとされ,特に女性は子宝に恵まれるなどという。騒ぎがしばらく続いたのち,太鼓の音がゆったりとしたリズムに変わると,ボゼは体を揺するようにして踊り始めるが,再度急変の調子で再び暴れだし,やがてその場を去っていく。こうして邪気が祓われ,清まった人びとの安堵と笑顔が満ちるなか,最後に盆踊りがもうひと踊りされ,以後は余興と称して夜が更けるまで歌って踊り,飲食に興じる。
(※解説は指定当時のものをもとにしています)

国指定文化財(重要無形民俗文化財)薩摩硫黄島のメンドン鹿児島県鹿児島郡三島村

薩摩硫黄島のメンドン

薩摩硫黄島のメンドンは,奇怪な容姿を有し,畏くも怖ろしいものとされており,八朔の行事日となる旧暦の8月1日,2日に現れ,人びとの邪気を追い祓う。
1日の夕方,熊野神社前の広場で若者たちが輪になって太鼓踊りを演じていると,突如,拝殿奥から1体のメンドンが走り込んできて,踊り手の周囲を3周し,去っていく。これが終わると,次々とメンドンたちが走ってきては,踊りの邪魔や,飲食に興じる観客たちの中に分け入るなど,悪戯を始める。手には枝葉を携えており,これでしきりに叩く。叩かれると魔が祓われてよいという。こうして,メンドンらは神社を出たり入ったりしながら,せわしく駆け廻るが,翌日の夜中まで所かまわず出没,徘徊している。
翌2日には,叩き出しといって,島を一巡する太鼓踊りがある。このときメンドンは隊列の先頭につくことになっており,所定の場所に到着すると,揃って海に向かって悪いものを追い祓う。こうして,最後は神社に戻って締めの踊りをし,あとは花開きと称する直会となって,行事は終了する。
(※解説は指定当時のものをもとにしています)