文化遺産オンライン

カテゴリで見る

鹿児島県・薩摩川内市

国指定文化財(重要無形民俗文化財)川内大綱引薩摩川内市

川内大綱引

 本件は、鹿児島県薩摩川内市に伝承される大規模な綱引き行事で、稲藁で編んだ長大な綱を上半身裸の男性たちが上方と下方に分かれて勇壮に引き合う。
 川内大綱引は、綱練と呼ばれる綱の製作と、本綱と呼ばれる本番の綱引きから主に構成される。綱練は、行事当日の早朝より、多く市民や市内の団体などが参加して行われ、半日掛かりで大きな綱を練り上げる。綱の形態は、一本綱で両端にワサと呼ばれる大きな輪が付くのが特徴である。本綱は、当日の夜、市の中心市街地を通る国道 3号の路上を会場として行われる。上方と下方の両陣営ともに、一番太鼓や大将、押大将などの指揮のもと、太鼓隊や引隊、押隊などの集団が連携して動き、攻防を繰り返しながら綱を引き合う。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)甑島長目の浜及び潟湖群の植物群落鹿児島県薩摩川内市

甑島長目の浜及び潟湖群の植物群落

長目の浜は2代薩摩藩主(さつまはんしゅ)島津光久(しまづみつひさ)が「眺めの浜」と呼んだことが由来とされ,上甑島(かみこしきしま)北部で北から南東方向に伸びる,長さ4km,幅40~100mの砂州(さす)が発達してできた浜である。上甑島北部にはこの砂州により形成された潟湖群(せきこぐん)(海跡湖(かいせきこ)群)が分布している。指定対象は,長目の浜と,北から続く海鼠池(なまこいけ),貝池(かいいけ),鍬崎池(くわざきいけ)の3湖沼,砂州上の植物群落である。
砂州上では季節風の影響を受け,北西部から風衝草原(ふうしょうそうげん),風衝低木林(ふうしょうていぼくりん),低木林と変化している。また,砂州上に堆積している砂礫の大きさが北側から南東に向かって小さくなり,海水の透水性の違いで海鼠池,貝池,鍬崎池の順に塩分濃度が低下し,植せ生もそれに対応して変化している。海鼠池は干満差や塩分濃度が高く,汀線際にはハマボウ群落を含む汽水域(きすいいき)植生,その背後の砂州上には,ウバメガシ群落等の風衝低木群落が発達する。貝池では泥湿地植生,風衝低木林等が発達している。湖内には嫌気性光合成細菌(けんきせいこうごうせいさいきん)であるクロマチウムが生育し注目されている。鍬崎池は干満差がなく,塩分濃度も低く,抽水(ちゅうすい)植物群落,湿性地植生が発達し,希少なハマナツメ群落等の低木林も成立している。このような砂州上に発達した植物群落は全国的にも少なく,性質の異なった三つの潟湖群とともに学術上貴重である。

国指定文化財(重要文化財)旧増田家住宅 浴室便所鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名七七番

旧増田家住宅 浴室便所

旧増田家住宅は,鹿児島県北西部に位置する旧武家町,入来麓伝統的建造物群保存地区に所在する。屋敷は,明治6年頃に建てられたおもてとなかえ,大正7年の石蔵,大正期につくられた浴室便所で構成されている。
主屋は,トコのあるザシキのあるおもてと,土間とダイドコロのあるなかえを連結した伝統的な分棟型形式である。おもてとなかえは大きさや位置をほぼ揃えており,この点が近世の武家住宅にみられるかたちと異なっている。
旧増田家住宅は,近世の武家住宅の形式を継承しながらも,平面構成や規模の変化が近代への移行を示唆している点で価値が高い。大正期までに整えられた屋敷構えも含め,入来麓伝統的建造物群保存地区を代表する近代住居として深い意義がある。

国指定文化財(重要文化財)旧増田家住宅 石蔵鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名七七番

旧増田家住宅 石蔵

旧増田家住宅は,鹿児島県北西部に位置する旧武家町,入来麓伝統的建造物群保存地区に所在する。屋敷は,明治6年頃に建てられたおもてとなかえ,大正7年の石蔵,大正期につくられた浴室便所で構成されている。
主屋は,トコのあるザシキのあるおもてと,土間とダイドコロのあるなかえを連結した伝統的な分棟型形式である。おもてとなかえは大きさや位置をほぼ揃えており,この点が近世の武家住宅にみられるかたちと異なっている。
旧増田家住宅は,近世の武家住宅の形式を継承しながらも,平面構成や規模の変化が近代への移行を示唆している点で価値が高い。大正期までに整えられた屋敷構えも含め,入来麓伝統的建造物群保存地区を代表する近代住居として深い意義がある。