カテゴリで見る
沖縄県・宮古島市
国指定文化財(登録記念物)旧仲宗根氏庭園沖縄県宮古島市
沖縄県宮古島の旧士族の邸宅に昭和初期に造られた庭園で,宮古島北西部の平良地区に位置する。仲宗根氏は多くの宮古島の頭職を輩出した家柄で,地元で「忠導氏(ちゅうどううじ)仲宗根家」と呼ばれる。
旧仲宗根氏庭園の敷地入口に建つ門には琉球石灰岩の巨石が用いられ,門から続く通路を右手方向へ進むと庭園へ通じる。庭園は主屋の東側に位置していたが,主屋は近年の台風により倒壊し,現在は存在しない。作庭は,昭和4年(1929)に主屋が改築された際に,首里の庭師糸洲朝昌(いとすちょうしょう)が行った。
庭園は元々主屋からの眺めを主とする池庭で,主屋から見て左右に園池が伸びる。園池は複雑な形をしており,5つの岩島を配している。園池の左奥方向には滝石組が設けられ,また左右の端には石の反橋が架かる。左の反橋からは,滝石組の背後の築山の上部へ向かって石段が続く。
以上のように,旧仲宗根氏庭園は,宮古島に残る唯一の旧士族の庭園であり,沖縄県の造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)八重干瀬沖縄県宮古島市
宮古島の北方海域に広がる巨大なサンゴ礁群。旧暦3月3日の大潮の時に女性の厄払いが行われるなど、宮古島に固有の生活文化との繋がりの下に親しまれてきた優秀な海浜の風致景観。我が国最大の卓状のサンゴ礁群としても重要であり、天然記念物のサンゴ礁群としては初の指定である。
国指定文化財(登録有形文化財(建造物))旧西中共同製糖場煙突沖縄県宮古島市城辺字西里添西底原621-6
サトウキビ畑の中に建つ煉瓦煙突。基部の平面は二・七メートル角で、高さは一三メートル、煉瓦造、イギリス積で、東西面の基部に欠円アーチの煙道を残す。宮古島の伝統産業である製糖業を象徴する煙突で、県内でも希少な昭和前期の製糖工場の遺構である。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)東平安名崎宮古島市城辺
宮古島の東端に細長く突き出た東平安名崎は、琉球石灰岩のカルスト地形に固有の海岸性植物群落が展開する独特の自然環境とともに、悲恋の故に海波に身を投じた女性の伝承にまつわる美しい景勝地として知られる。
岬は延長約2kmに及び、その幅は基部から中央部にかけて約120〜180mとほぼ一定しているが、中央部から先端部にかけては200〜250mと広がりを見せる。周囲を琉球石灰岩の切り立った海食崖に囲まれ、標高約20mの平坦な上面は全体として海側に向かって迫り出し、海食崖の随所に凹地形が形成されている。岬周辺の海域は珊瑚礁に覆われ、特に岬の北東海岸には幅約380mの発達した珊瑚礁が見られ、さらにその東方海域には幅約120mの水路状の海域を挟んで、東西約2km、南北約1kmにわたり、楕円状の珊瑚礁が形成されている。海岸近くに発達した珊瑚礁の上面には、岬の急崖から崩落したものと見られる琉球石灰岩の岩塊が散在する。特に岬の先端部の周辺には、「津波石」と名付けられた最大径が6〜8mにも及ぶ琉球石灰岩の岩塊が存在するほか、東方海域の離礁上にも「パナリ」と呼ぶ巨大な岩塊が点在する。
通年の強風により高木は育たず、テンノウメ・ミズガンピ・イソマツなどの木本の群落をはじめ、グンバイヒルガオ・ハマウド・ミヤコジマソウ・ハマボッス・コウライシバなどの草本の群落など、亜熱帯地方の風衝地に特有の植物群落が見られる。とりわけ、テンノウメ群落は北東海岸の急崖部上面の縁辺を這うように生育し、その分布面積は他に類例を見ないほど大規模である。また、テンジクナスビ・ミヤコジマソウ・ミヤコジマツルマメなどの草本類は、生育地の北限を示すものとして貴重である。
東平安名崎に関連して、悲恋の故に岬の崖から海波に身を投げたという女性の話が語り伝えられている。岬の北西約6kmに位置する野城の按司は、妻子を持つ身でありながら、平安名(ピャウナ)に住み機を織る美しい娘マムヤと恋に落ちた。しかし、叶わぬ恋に身を儚んだマムヤは岬の岩陰に身を隠して機を織り続け、探し求める按司を振り切って、ついに崖から海波に身を投げたという。現在でも宮古島にはマムヤを謳った古謡や民謡が伝えられているほか、岬の北東岸の崖地にはマムヤが身を潜めて機を織り続けたとされる小洞穴や彼女の墓地と伝えられる岩陰墓などが残されている。
以上のように、東平安名崎は、琉球石灰岩から成る海食崖に囲まれ、固有の風衝植物群落が展開する独特の自然環境を持ち、その優れた風致景観は宮古島の按司と美しい娘との恋にまつわる悲しい伝承を生んだ。宮古島の風土的特色を代表する景勝地として、東平安名崎が持つ観賞上又は学術上の価値は高く、よって名勝に指定し保護を図ろうとするものである。