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沖縄県・国頭郡今帰仁村

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)アマミクヌムイ沖縄県国頭郡今帰仁村・南城市

アマミクヌムイ

アマミクは琉球開闢(かいびゃく)神話にまつわる琉球国の国土創生神で,琉球王府が編纂を命じた歌謡集『おもろさうし(おもろそうし)』,琉球国の正史である『中山世鑑(ちゅうざんせいかん)』など4つの史料に登場する。神話は,天上界の主神である天帝の命により,天上から降臨したアマミクが順を追って御嶽を創造し,琉球国土の起源となったと伝える。それらは,沖縄本島及びその周辺の島において,今もなお独特の地形・植+U17生から成る聖地としての良好な風致景観を伝える。開闢神話にまつわる御嶽は13か所から成り,今回はそのうちの条件が整った2か所を指定する。
「今鬼神ノカナヒヤフ(テンチジアマチジ)及びこはおの御嶽(クバの御嶽)」は,沖縄本島北部西岸の本部半島の北辺に位置する今帰仁(なきじん)グスク及びその南方の小丘に所在し,『おもろさうし』の歌謡がそれらを崇める今帰仁グスクの按司(あじ)を誉め,聖地としての風致を豊かに謡い上げた2つの御嶽である。
「久高コハウ森(久高のフボー御嶽)」は,沖縄本島南部の知念半島沖に浮かぶ久高島にあり,琉球王府が国家的に重視していた御嶽で,固有の地形・地質及び植生が幽邃(ゆうすい)な聖地としての風致を伝える。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)諸志御嶽の植物群落国頭郡今帰仁村

諸志御嶽の植物群落

S47-5-206諸志御嶽の植物群落.txt: 諸志御嶽は古くから信仰の対象となっていたため、琉球列島の中でもかつての平地林の林相を示すまれに見る植物群落である。
 シダ類以上の植物200種以上が自生しており、ホラカグマ・オキナワセンニンソウ・アマキ・ニガキ・チャンカニイ・アカテツ・リュウビンタイ・クロガネモチ・ヒゼンマユミなどがみられる。
 沖縄における極相林の典型的なものとしてその価値はきわめて高い。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)今帰仁城跡
 附シイナ城跡
国頭郡今帰仁村

今帰仁城跡<BR/> 附シイナ城跡

S49-5-142[[今帰仁城跡]なきじんぐすく].txt: 三山分立時代の北山王の居城である今帰仁城は、最高所の主郭を中心とした連郭式の城で、昭和47年5月15日に史跡に指定されたが、その後、二の丸跡の西方で古生期石灰岩を平積みした石垣の存在が確認され、それより内側(東側)は、三の丸ともいうべき郭跡であることが明らかとなったので、この地域を追加指定するものである。
S47-5-166[[今帰仁]なきじん]城跡.txt: 沖縄本島北部海岸[[親泊]おやどまり]の南へ約1.5キロほど登りつめた丘の上にある連郭式の城で、面積は3.8ヘクタール、沖縄第一の名城[[中城]なかぐすく]城よりも広い。北・東・南側を断崖とする天然の要害で、西の大手から東に向かって高くなり、二の丸・北殿跡・[[大庭]うみやー]・[[御内原]おうちばる]・本丸、そして最後部の低地に曲輪をもつという複雑な構造で、北殿跡には往時をしのぶに足る見事な礎石を残している。
 築城年代は明確ではないが、14世紀末、明より「山北王」の称号をうけた[[怕尼芝]はにじ]から4代目の[[攀安知]はんあんち]にいたる94年間の城で、応永23年(1432)中山王に攻め滅ぼされた。城内には寛延2年(1749)建立の「山北今帰仁城監守来歴碑」があり、城の由来を記す。外郭の石垣は〓屏風形の曲線をえがいて朝鮮の山城を思わせるが、北山王の居城として歴史が古く、若干の不似合いな補修のあとはあるが、沖縄屈指の名城たる風格を今日に伝えている。