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沖縄県・国頭郡恩納村
国指定文化財(登録有形文化財(建造物))旧國場家住宅主屋沖縄県国頭郡恩納村字山田1437-1
赤い琉球瓦の入母屋造屋根で、北東を正面として建つ。正面右より十畳大の一番座、二番座、三番座と続き、背面に裏座と突出する土間の台所を並べる。平面構成から軸組まで伝統形式であるが、一番座正面に設けた玄関庇やガラス戸建具は近代的な要素といえる。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)国頭方西海道国頭郡恩納村
国頭方西海道は、琉球王朝の首都であった首里と国内各地を結ぶ道の一つであり、15世紀後半以降の第二尚氏時代には海上を含むすべての道が首里に通ずる道として整備されたとされる。
このうち西海道は、首里の西原間切から浦添、北谷、読谷山、金武、名護、今帰仁、国頭の各間切を通る道筋である。間切とは、集落の集まりをいい、琉球王朝時代の行政単位であった。
恩納村を通る西海道は、読谷から多幸山、山田城跡や恩納城跡の下を通過する琉球王朝時代の各間切の番所と番所を繋ぐ宿道となっていて、人々や文物の交流を担った主要道路であった。その中で読谷の喜名から恩納を経て、国頭地方に向かう道を「国頭方西海道」と称した。道幅は約2.4mでその両側に松並木が植栽されていたとされ、道の周りには一里塚や石矼、御待毛等の遺跡も多い。
御待毛は、国王や役人が地方を巡検する時に、街道沿いの村人などを集め荷役をさせたが、こうした人々が国王や役人を待ち、歓迎するための広場であった。真栄田の一里塚は、土と炭を混ぜ合わせた土塚で、その上部に琉球松等が植えられ対に設置されていた。一方の塚は開墾で破壊されたが、現在復元されている。寺川矼は、垂川に架かる石矼で、農地の近代化のため撤去されており、現在は仮橋が架かっている。本来は2枚の板石を橋台部の石積みで支えていた幅2m程のものであった。山田城跡の麓を西海道は通っているが、途中に山田谷川の石矼がある。石矼は、琉球石灰岩の野面積みの桁部分にアーチ形式を施したものである。この東には貝塚と岩陰住居跡の遺跡である史跡仲泊遺跡がある。道は、この中を通っており、石畳道で比屋根坂と呼ばれる。この坂の東にある仲泊集落の中に仲泊の一里塚がある。一里塚は自然の丘を利用したものといわれ、現在もその高まりを残している。
国頭方西海道は、昭和63年度から整備事業が実施され、道・石積修理、休憩施設整備、説明板・案内板・標識等整備事業を実施した。
このように琉球王朝時代の道である国頭方西海道が、各遺跡とともに良好に残っていることは、我が国の交通の歴史を考える上で重要であり、石畳道、御待毛、真栄田、仲泊の一里塚、石矼など整備事業が終了した部分を含めた約1kmを史跡として指定し保護を図ろうとするものである。
国指定文化財(登録有形文化財(建造物))琉球村旧平田家住宅フール沖縄県国頭郡恩納村字山田1130
琉球村中央部東端近くの斜面下に移設されている。便所と豚の飼育場を兼ねたもので,琉球石灰岩で築く。外形は約5m×約4mで,東側に飼育場,西側に便所を南北に3連並べる。各飼育場は1.2m×2.4m,深さ0.5mで,東壁にニッチ状の日除けを造る。
国指定文化財(登録有形文化財(建造物))琉球村旧大城家住宅主屋沖縄県国頭郡恩納村字山田1130
首里士族の家系で,琉球王府の大臣職を務めた与那原家が首里に建設。桁行7間,梁間3間半規模,寄棟造,赤瓦葺の木造平屋建で,東方に各6畳の一番座と二番座とを並べ,その北方に裏座,西方には三番座と台所を配す。東面と南面の雨端を土庇状とするのが特徴。