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沖縄県・島尻郡久米島町
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)久米島町奥武島の畳石沖縄県島尻郡久米島町
久米島は、沖縄本島の西方100キロメートルに位置する。久米島町奧武島の畳石は、久米島の東海岸の沖合い600メートルの奥武島の海岸の岩畳である。この岩畳は、安山岩質の溶岩からなり、柱状(ちゅうじょう)節理(せつり)が模式的に発達する。
地質学的に琉球(りゅうきゅう)弧(こ)南部を形成する島々には、火山岩系統の地質からなる島がほとんど見られない。現在活動を行っている火山としては、無人島である硫黄(いおう)鳥島(とりしま)と西表(いりおもて)海底火山があるのみである。過去に火山活動の痕跡を遡ってみても、久米島と粟国(あぐに)島(じま)に第三紀の火山岩が分布するのみで、沖縄本島・宮古・八重山(やえやま)・西表などの主要な島々には、火山岩系統の地質は見られない。こうした島々の中で久米島は異色の存在である。全島が火山岩や火砕流・泥流堆積物から構成されこれを縁どるようにサンゴ礁が発達している。久米島の火山活動は過去二つの時期にあったことが指摘されている。一つは第三紀中新世(2000万年前)、もう一つは第三紀鮮新世(数百万年前)である。どちらも、琉球列島形成以前のアジア大陸の縁辺(えんぺん)部(ぶ)での火山活動である。「久米島町奧武島の畳石」の形成期は、後者の時期にあたる。
アジア大陸の縁辺部に凹みが形成され、東シナ海が開き始めるのである。現在の琉球列島の形成の始まりである。日本海が開き、日本列島の形成が始まるのが1500万年前であるから、琉球列島の形成は1000万年近く遅れて開始したことになる。
溶岩が固結する際には、体積収縮により柱状節理(規則的な割れ目)ができることがある。材木岩などとも呼ばれる六角形や五角形の柱状の節理である。福井県の東尋坊や兵庫県の玄部洞などが、代表的なものである。「久米島の畳石」は、波浪により侵食された、柱状節理の断面が露出したものである。柱の数は数千個にも及び、個々の柱の径は、1から1.5メートルにも達する。柱状節理の断面が露出するものとして、柱状節理の径の規模からも沖縄県内はもちろん、全国的にも希有の存在であり、琉球列島形成の萌芽を示唆するエピソードとしても極めて重要である。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)宇江城城跡島尻郡久米島町
宇江城城跡は、沖縄本島から西へ約100kmにある久米島北部山系の標高約310mの宇江城岳の山頂に築かれたグスク時代の城跡である。沖縄県内のグスクのうち最高所に位置する山城であり、久米島のほぼ全体を眺望できる。城跡の築城年代は記録がなく不明であるが、伊敷索(ちなは)按司(あじ)の長男である久米(くめ)仲城(なかぐすく)按司が築いたとされ、第二尚氏尚真王の1510年(1506年説もある)に琉球統一の過程で滅ぼされたという。城跡は、山頂の尾根沿いに、最高所の東端部に一の郭を、その西側の一段下がった所に二の郭を、さらに下がって三つの郭を配し、その周辺に腰曲輪群、南面するグスク道(神道)の両脇に平場群を配する構造である。城壁の石積みは、一の郭の虎口(こぐち)部分周辺のみに珊瑚石灰岩の切石が見られるほかは、周辺で採れる板状の輝石(きせき)安山岩(あんざんがん)を使用する。発掘調査によって建物跡等を検出し、出土遺物は、主に一の郭や二の郭で多く出土し、青磁の碗・皿・酒会壷等多くの中国陶磁器がある。
このように、宇江城城跡は、久米島支配の拠点として、久米島全体を見下ろす山岳頂部に築かれ、多数の腰曲輪群と平場群を備えた堅固な山城跡であり、沖縄におけるグスク時代の政治・軍事の様相を知る上で貴重である。
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)久米の五枝のマツ島尻郡久米島町
五枝のマツは、マツ科マツ属に属するリュウキュウマツの大木である。マツ属は大きく分けて、五葉松(ゴヨウマツ、ハイマツなど)と二葉松(クロマツ、アカマツなど)に分かれるが、リュウキュウマツは琉球列島に特産の二葉松であり、トカラ列島以南でアカマツに代わって広く分布している
五枝のマツは、久米島西部の丘陵地に生育しており、樹高は6・2メートルにすぎないが、根元の幹廻りは4・3メートルに達する。枝ぶりがとくに見事で、根元から大きく2つに枝分かれし、太さ50センチメートルもの枝が地面に這うように延びており、最も長い枝は10数メートルに達し、枝張りの面積は324平方メートルになる。樹勢は旺盛であり、さらに枝張りを広げる勢いである。
五枝マツは、もともと18世紀初頭に農業の神「[[土帝君]とーていくん]を祭ったときに植えられたものと伝えられており、現在も拝所として地元の信仰の対象として大切に保存されている。本樹は琉球列島の特産種であるリュウキュウマツの代表的名木であり、今回、天然記念物に指定し、いっそうの保存を図ろうとするものである。