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秋田県・男鹿市

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)男鹿目潟火山群一ノ目潟男鹿市

男鹿目潟火山群一ノ目潟

一ノ目潟は、秋田県男鹿半島の先端付近にある淡水湖である。二ノ目潟、三ノ目潟とともに目潟火山群を構成し、火山の形態の一つであるマール(爆裂火口)の典型として知られる。目潟火山群は、更新世最末期に成立した単性火山群である。マールは水とマグマが接触して起こるマグマ-水蒸気爆発によって円形の火口を生じる。その際の爆発力が非常に強いため、噴出物は周辺に広範囲に飛び散り火口にはわずかの堆積物が残るだけで顕著な環状の丘を持たない。また、男鹿目潟火山群のように火山活動後、火口に水が貯まって、ある程度水深のある爆裂火口湖を形成することが多いのもマールの特徴である。
 東北地方はプレートの沈み込みに伴う東西の圧縮応力場に支配されているため、このような単成火山が出現することは珍しく、マールは東北地方においては男鹿目潟火山群だけが唯一である。日本列島全体を見渡しても伊豆大島の波浮港や鹿児島県指宿周辺の山川港などいくつかの例が確認できるだけである。
 3つのマールは東北東の方向にほぼ直線上に並んでおり、東側から一ノ目潟、二ノ目潟、三ノ目潟と呼ばれている。一ノ目潟は直径600m、面積0.26平方キロメートル、水深44.6mに達し、3つのマールの中では最大規模である。
 目潟火山群の各々の成立については、一ノ目潟、二ノ目潟、三ノ目潟の順番で形成され、各目潟からの火山噴出物の層序、一ノ目潟南岸露頭最下部より採取した木片の放射性炭素分析による年代測定、姶良丹沢火山灰と更新世段丘との層位関係、一ノ目潟の湖底堆積物の分析等の研究結果から、一ノ目潟の形成年代は6万〜8万年前、三ノ目潟は2万〜2万4千年前と考えられている。男鹿目潟火山群の主な噴出物は、一ノ目潟と二ノ目潟がカルクアルカリ安山岩、三ノ目潟が高アルミナ玄武岩を主とする。これらの噴出物中には、マグマが地下深部から地表へ上昇する過程で周囲のマントルの破片を掴み取って取り込んだ捕獲岩を含むものがある。捕獲岩とは下部地殻や上部マントル起源のマグネシウムや鉄を多く含む苦鉄質(角閃石ハンレイ岩・カクセン岩など)〜超苦鉄質(カンラン岩・ウェブストライト・角閃石岩)の岩片を含むものである。
 一ノ目潟の周辺の高度40〜240mの段丘面上には、マールの形成に直接関与した噴出物が多量に分布し、その間にはAT火山灰(姶良丹沢火山灰;約25,000年前)が挟まれている。堆積物には,泥流堆積物・ベースサージ堆積物・降下軽石/スコリアが分布し、噴出物の体積は0.1㎦以下とされている。
 一ノ目潟は、安山岩中にマントル起源の捕獲岩を含んだ噴出物のあった火山として世界で最初に知られ、その希少さは世界的な注目の的となり各国の研究者により様々な調査研究の場となってきた。近年は三ノ目潟での初生玄武岩の発見や、目潟火山群の特殊な地形と男鹿半島の寒冷な気候によって環境変動史を解明する手だてとなる良好な湖底堆積物が得られる等の新しい知見も得られてきている。
 このように、男鹿目潟火山群一ノ目潟は、マールの典型として、また単性火山群の典型としても重要である。よって、天然記念物として指定し、長く保存を図ろうとするものである。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)脇本城跡男鹿市脇本

脇本城跡

 脇本城跡は秋田県中部、日本海に突き出た男鹿半島付け根南岸の丘陵上に展開する大規模な山城で、中世末の安東氏の居城である。安東氏は津軽地方の豪族であり、鎌倉時代に北条得宗家に仕えた代官で蝦夷管領を勤めた。その勢力は津軽地方から北海道南部に及び、秋田地方にはその一族である檜山安東氏、湊安東氏がそれぞれ北部の檜山城、中部の秋田湊城に拠点を置いた。安東愛季は元亀元年(1570)頃に安東氏を統一して既存の城を改修して脇本城を築いた。脇本城が廃城になったのは天正18年(1590)、秀吉の奥州仕置から慶長7年(1602)の佐竹氏による久保田城築城の頃と考えられる。
 脇本城跡は日本海に面した標高100m前後の丘陵上に展開する。海に直角に突き出た生鼻崎の斜面は白い崖面を見せて象徴的であり、ここから連続する丘陵は南北約2km、東西約1.5kmの範囲をもつ。城跡からは南に日本海、遠くは鳥海山、東から北にかけては八郎潟から檜山地方、西には男鹿半島の山々が見渡せる。城跡直下の海岸には脇本港がある。
 男鹿市教育委員会では平成5年度から縄張り調査を継続し、平成12年度から発掘調査を実施してきた。その結果、内館地区、馬乗場(古館)地区、兜ヶ崎地区の3地区に主な遺構が分布することが確認された。内館地区は日本海に最も近く、分布する遺構は大規模であり、城郭の中枢をなす。谷を囲む丘陵尾根を大規模に階段状に造成して、一辺が数十m規模の方形を呈する郭が連続して配置される。郭には高い土塁が囲み今も窪みとして残る井戸も見られる。馬乗場地区は丘陵中央に位置する。広く整地を行い、T字状に直線道路を敷設してこれに面して方形の屋敷が配置される。兜ヶ崎地区は東側の独立した丘陵に立地し、方形を呈する主郭の周囲に階段状に郭が造成されている。
 丘陵東側の裾には前身の法蔵寺に愛季が葬られたと伝えられる萬境寺、愛李の兄弟が開いたとされる本明寺などが存在する。また、日本海に沿った平地には、直線道路に短冊形地割が連続する脇本の集落があり、城下集落として機能していた可能性がある。
出土遺物は中国産の白磁、青磁、染付、褐釉、国産では瀬戸美濃焼、能登珠洲焼、越前焼など15、16世紀のものが確認される。
 安東氏は蝦夷島を含む日本海北部に勢力を伸ばして活躍したが、脇本城跡は日本海交通の要衝の地に位置し、直下に港を備えており、安東氏の活動拠点としてふさわしい大規模な山城である。城跡に関係する寺院群や城下の集落を含めて広大な城域が環境・景観とともによく保存されている。よって、萬鏡寺・本明寺を含めた城跡を史跡に指定し保護を図ろうとするものである。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)ツバキ自生北限地帯東津軽郡平内町、男鹿市

ツバキ自生北限地帯

天然紀念物調査報告(植物之部)第三輯 一〇一頁 参照
天然紀念物解説 二七九頁
男鹿半島ニアリ本邦ニ於ケルつばき Camellia japonica L. 自生地ノ北限地帯ニシテいたやかへで其他寒性ノ樹木ト混生ス
天然紀念物調査報告(植物之部)第三輯 二七頁 参照
天然紀念物解説 二七九頁
青森湾ニ面セル海岸ノ山地一帯ニ亙レリ本邦ニ於ケルつばき Camellia japonica L. 自生地ノ北限地帯ニシテ殊ニ純林ヲ成セルニヨリ著シ本地域ニハ同樹ノ幹ノ大ナルモノ少カラズ。

国指定文化財(重要無形民俗文化財)男鹿のナマハゲ男鹿市

男鹿のナマハゲ

この行事は、昭和20年代まで小正月に行われていた来訪神の行事である。内容は、各伝承地で細部に相違が認められるものの、集落内の若者たちが面をかぶり、ケデをつけて家々を訪れ、威厳のある所作で人々に接するという形態で共通している。年の折り目に神が来臨し、人々に祝福を与えるという趣旨の行事である。(※解説は指定当時のものをもとにしています)