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福島県・須賀川市

国指定文化財(国宝・重要文化財(美術品))銅版画東都名所図〈亜欧堂田善筆/(二十五図)〉福島県須賀川市池上町六

銅版画東都名所図〈亜欧堂田善筆/(二十五図)〉

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)上人壇廃寺跡須賀川市上人壇・岩瀬森

上人壇廃寺跡

東北本線須賀川駅の北にある寺跡で、発掘調査の結果、中門・金堂[こんどう]・講堂跡と推定される南北に並ぶ建物遺構と、それを囲む二重の溝が発見された。六角瓦塔[がとう]の破片が出土したことも稀有の例であり、奈良時代から平安時代にかけての東北地方における地方寺院の実態を示す一例である。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)米山寺経塚群須賀川市大字西川

米山寺経塚群

字山寺村社日枝神社ノ裏山ニ在リ、略々圓形ニシテ高二尺五寸、徑約八尺アリ。明治十七年發掘シ頂上ヨリ約五尺ニシテ方約二尺五寸ノ組合石室ヲ發見シ内部ヨリ銅製經筒、鏡鑑■身等ヲ檢出セリ。
而シテ同時ニ其ノ地續中ヨリモ多數ノ遺品ヲ出セシガ中ニ承安元年米山寺施入在銘ノ經筒アリ。
共ニ昭和十一年九月國寳ニ指定セラレタリ。遺阯ハ略々原形ノ儘保存セラレ藤原末期ニ於ケル經塚ノ構造ヲ徴スルニ足レリ
S52-06-034[[米山寺]べいさんじ]経〓(*1)群.txt: 米山寺経塚は昭和12年9月3日史跡指定されている。須賀川市の市街地西北方にある丘陵上に所在し、明治17年に承安元年の記年銘のある経筒等を出土したことで著名である。
 昭和51年、須賀川市教育委員会が経塚群の範囲確認を行い、1〜3号及び4〜10号までの経塚の測量と一部の発掘調査を実施し、土盛りや葺石の確認及び外容器と思われる須恵器片等を検出した。また、丘陵南斜面からは3か所の建物跡とみられる造成面を確認し、外周の溝や石垣も検出した。これらを含めて約1万平方メートルを追加指定し、併せて名称を米山寺経塚群として遺跡の保存を図るものである。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)須賀川一里塚須賀川市字一里担・字高久田境

須賀川一里塚

須賀川町ノ北西端ニアリ江戸時代奥州街道ニ沿ヘル一里塚ニシテ塚上ノ樹木ハ失ハレタルモ二基相對シ塚形又ヨク保存セラルヽ點、縣内舊奥州街道中唯一ノモノナリ
塚ノ東西街道ヲ狹ミ古松尚存シヨク舊態ヲ偲ブニ足ル
S44-12-037須賀川一里塚.txt: 昭和11年9月3日史跡指定の地域のうち旧奥州街道をはさみ、東西2か所にある一里塚につづく街道両側の並木敷の、すでに旧状を失った部分を解除し、残存主体部については、さらに両側に指定地を拡大して保存をはかることが適当とみとめられるので、地域を一部追加指定する。