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福島県・伊達郡桑折町

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))無能寺山門福島県伊達郡桑折町字上町4-2

無能寺山門

桑折宿に位置する浄土宗寺院の薬医門。参道を西進した境内入口に東面して建つ切妻造桟瓦葺で木太い本柱、控柱の頂部を各々冠木で固める。梁を四筋架け、梁先の大斗実肘木で桁を受け、冠木と桁の間に支輪を設ける。ケヤキの良材を使い、雄大な構えの山門。

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))栗花家住宅主屋福島県伊達郡桑折町字北町76

栗花家住宅主屋

旧蚕物商の店蔵の東に接続して建つ主屋。平屋建切妻造桟瓦葺の東西棟で、敷地北辺に寄せて建ち、南側に通路を設ける。内部は四室を配して北東隅を床構え付き座敷とし、東に風呂便所を角屋で延ばす。店蔵と一体となって街道沿いの歴史的な景観を形成する。

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))栗花家住宅店蔵福島県伊達郡桑折町字北町76

栗花家住宅店蔵

桑折宿の中心部に位置する蚕物商の店蔵。奥州街道に西面する二階建切妻造平入鉄板葺で、外壁は軒まで塗込め、二階南北妻に窓を各1箇所開ける。一階は前土間のミセで摺上戸を残し、二階は一室で繭の保管場。重厚な外観が街道沿いの歴史的な景観を形成する。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)桑折西山城跡伊達郡桑折町

桑折西山城跡

 伊達郡は戦国大名伊達氏の名字の地である。桑折西山城跡は、この伊達氏の居城跡であり伊達郡桑折町の西方標高193メートルの[[高館山]たかだてやま]を中心に位置している。
 宝暦11年(1761)御巡見使案内記等が西山城について「仙台御先祖常陸(念西)入道居館之由」と記しているように、この城は文治5年(1189)奥州合戦の功により伊達郡を拝領した中村(伊達)念西の居館跡として伝承されてきたものである。応永7年(1400)から9年(1402)にかけて上杉禅秀の攻撃を伊達大膳大夫政宗がしのいだと『余目氏旧記』『鎌倉大草紙』に記される「赤館」もこの西山城を指すと考えられている。(『伊達正統世次考』、『伊達勤王事歴』)。
 大永2年(1522)奥州守護・奥州探題となった伊達稙宗は名実ともに戦国大名として飛躍的な発展を遂げるが、天文5年(1536)には分国法『塵芥集』を発布した。この法は分国1円を対象として出された戦国法であるが、その71条には
「みちのほとりにて見つけ候ひろいものの事、にし山のはしもとにふたをたて……」
とみえており、この西山城とその城下が伊達氏分国の中心であったことをよく示している。
 天文11年(1532)西山城主伊達稙宗は突如嫡子晴宗に捕らえられ、西山城内に幽閉されて、伊達家及び南奥州の諸大名を2分した内紛「天文の乱」が勃発した。6年間にわたる内紛ののち両者は講和に到ったが、稙宗は丸森城に隠居し、晴宗は家督を継ぎ米沢城に移り、そして講和の条件として西山城は破却されている(『伊達家文書』、『伊達正統世次考』)。
 遺構は高館山に本丸、2の丸と数段の腰ぐるわを配し、鞍部を隔てた西方に中館、西館を配し、後2者は直線状の空堀をはさんで相対している。西館には出桝形、中館にはカギ型土塁の遺構がみられる。これらの遺構は「浅野家古城図・陸奥桑折」に描かれた西山城の姿によく合致するものである。また2の丸の南西には戊辰戦争時の砲台場跡もみられる。
 なお伊達稙宗の側室「中館」「下館」と呼ばれる女性がいたことがしられるが、それぞれ城中の中館等に住んだものであろう。城下からこれらに通じる道は現在も「化粧道」の字名で呼ばれている。
 のち延宝7年(1679)、福島に転封された本多忠国が西館に築城を計画したことがあるが、実現はみなかった(『信達二郡案内記』)。
 このように桑折西山城は戦国奥羽の雄伊達氏の本城として著名なものであり、その遺構も良好に保存され、よく戦国時代の大名居城の姿をとどめるものとして、貴重な遺跡である。よってここに史跡に指定し、その保存を図ろうとするものである。