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茨城県・石岡市

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)常陸国府跡茨城県石岡市総社1丁目

常陸国府跡

常陸国府跡の中心的な建物群と考えられる施設を指定する。建物群は7世紀末から11世紀にかけての変遷過程が認められる。国庁に比定される一辺100mの区画は、8世紀前半からおよそ300年は正殿の中軸線が踏襲されており高い計画性をもつ。

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))坂入家住宅主屋茨城県石岡市辻字山下179

坂入家住宅主屋

山裾の敷地に南面して建つ。木造平屋建、桁行21m梁間9.6m、寄棟造茅葺、棟中央に桟瓦葺越屋根を付ける。土間を西側に、六間取で縁をまわす床上部を東側に配する。当地方の大規模農家の姿を伝え、トオシモノと呼ばれる軒付など茅葺屋根は見応えがある。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)佐久良東雄旧宅新治郡八郷町

佐久良東雄旧宅

佐久良東雄文化八年三月二十一日常陸國新治郡浦須村(今の林村大字浦須)に生れ幼にして出家せしが尊皇の志深く後ち還俗して王事に奔走するところあり萬延元年三月幕府の爲に捕へられ六月獄中に卒す、其の和歌は皇國の大義を詠じて餘蘊なく又其の子に與へたる遺言書は盡忠の道を悉せるものとして極めて貴重なり。
宅は其の生誕し幼時を過せし處にして字長家に在り低夷なる丘陵の裾に南面して存す正面に長屋門を構へ中庭を隔てゝ茅葺平家建の母屋あり、母屋は向つて右側に土間、左側に所謂田字形の配置を爲せる部屋を設けたるものにして嘗て稍々後方に引かれ又椽廻に夛少改修の跡ありと雖極めてよく舊規模を存せり。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)常陸国分尼寺跡石岡市若松

常陸国分尼寺跡

字尼寺ケ原トスル畑地ノ西方展望ニ富ムノ地ニアリ 國分僧寺阯ト相距ル七、八町八八四二番八八四六番及八八五四番ノ三地域内ニ土壇礎石ヲ存ス 即チ金堂講堂中門ノ阯ニシテ善ク舊規ノ認ムヘキモノアリ 又附近ヨリ奈良朝時代ノ特徴アル古瓦ヲ出ス
尼寺ヶ原と称せられる地域にあり、中門跡・金堂跡・講堂跡が南北中軸線上に並列しており、金堂跡は約3尺の土壇をなし、現在10個の礎石が存し、5間に4間の堂宇のあったことが認められる。講堂跡は約1尺の土壇をなし、24個の礎石が現存し、7間に4間の堂宇と認められる。附近より奈良時代に属する鐙瓦・宇瓦等が発見されている。旧規模よく存し、国分尼寺跡として稀有の例であり、学術上特に価値が深い。
S46-5-124常陸国分尼寺跡.txt: 常陸国分尼寺跡の既指定地(昭和28年3月特別史跡指定)は、わずか中門跡・金堂跡・講堂跡を中心とした地域であった。ところが昭和44〜45年の発掘調査の結果、南大門跡(掘立柱建物)をはじめ西・南・北に幅約3メートルの寺域を画す堀がめぐっていることが明らかとなった。これにより寺域は、方1町半と考えられるので、指定地が寺域全体に及ぶようにするものである。