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茨城県・常陸太田市

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))立川醤油店店舗及び主屋茨城県常陸太田市西二町字西二西2177他

立川醤油店店舗及び主屋

太田城址の南に位置。通りに東面して店舗を構え、背後に主屋が接する。店舗はつし二階建切妻造桟瓦葺で正面に下屋を通し、一階南半を土間に板間を張出した店とする。主屋は二階建切妻造桟瓦葺の主体部の南北に下屋を付す。間口の広い店舗が通りの景観を形成。

国指定文化財(史跡名勝天然記念物)西山御殿跡(西山荘)茨城県常陸太田市

西山御殿跡(西山荘)

西山御殿跡(西山荘)は,水戸藩2代藩主徳川光圀(とくがわみつくに)が隠居した後に居住した邸宅跡である。関東平野最北の谷津の最深部付近に位置する。光圀は寛文元年(1661)に藩主となり,『大日本史』の編纂を始めたことで知られる。元禄3年(1690)に隠居を許され,その後この地に移り住み,茅葺に土壁の簡素な建物に居住した。郷の入口に架けた橋を自ら「桃源橋(とうげんきょう)」と名付けたことからも,光圀がここを理想郷と考えていたことがうかがえる。光圀は御殿の周辺の山に鹿を,田に鶴を放ち,薬効のある草木を多数植えた。御殿での光圀は「西山隠士(せいざんいんし)」などと称し,領内の巡検や,文化事業に取り組む一方,『大日本史』の校閲などの作業を行った。光圀の死後建物は解体されたが,享保元年(1716)に再建された。この建物は文化14年(1817)に焼失したものの,文政2年(1819)に光圀居住時の三分の一の規模で忠実に再現されて残っており,敷地全体は現在「西山荘」と呼ばれている。御殿の周囲には2つの池,滝,遙拝石,突上御門などを備えた庭園があり,また紀伊徳川家より贈られたという熊野杉の木立がそびえる。このように,光圀が理想とした景観が今日までよく残されているとともに,『大日本史』を自ら校閲した記念碑的な場所として重要である。

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))旧稲田家住宅赤煉瓦蔵茨城県常陸太田市東一町字東一東2295-2

旧稲田家住宅赤煉瓦蔵

地主であった稲田家の袖蔵として建てられた。桁行三間梁間二間、妻入の煉瓦造三階建で、ペディメントを飾り、コーニスを廻らす。二、三階の両妻面に黒漆喰で掛子塗とした観音開きの扉を設け、高い左官技術を見せる。鯨ヶ丘の街路景観に寄与する重厚な煉瓦蔵。

国指定文化財(登録有形文化財(建造物))駿河屋宮田書店土蔵茨城県常陸太田市内堀町字内堀西2357

駿河屋宮田書店土蔵

敷地南西隅に位置し、南北棟で建つ。土蔵造二階建で、東に下屋を設ける。基礎に江戸切仕上の花崗岩を二段積み、柱を三尺毎に立てて壁を塗る。東正面一階は黒漆喰で仕上げ、中央の開口部には、黒漆喰塗の鳥居枠を表す。当地における商家の屋敷構えを示す。