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茨城県・稲敷市
国指定文化財(史跡名勝天然記念物)広畑貝塚稲敷市飯出ひろ畑
広畑貝塚は、霞ヶ浦の南西岸、東に野田奈川(桜川)、西に小野川の河口に囲まれた丘陵の裾に位置する貝塚を伴う縄文後期から晩期前半の集落跡である。標高約1.5~2.0メートルの低地に貝層が分布し、北側の水田に遺物包含層が続いている。
明治年間以来、完形土器をはじめとする多数の遺物の発見地として有名であった。古くは、江見水陰・清野謙次・池上啓介等の調査報文があり、戦後、和島誠一・直良信夫・吉田格・近藤義郎等による発掘調査が実施されている。出土品には、後期後半の良好な土器群をはじめ、晩期初頭にいたるまでの各種の遺物がある。とくに土偶・土版・耳飾などの土製品及び貝輪・尖頭器・骨鏃・装身具などの骨角製品などの量の多いことが注目される。
とくに後期末から晩期初頭に属する無文薄手作りの深鉢形土器の一群の存在は注目されるものである。即ち、炭酸カルシウムが固化して付着していることや、器壁が薄く剥離する状態などが、古墳時代以降の製塩土器と酷似しており、既に縄文時代に製塩が行われていたのではないかとする説の根拠になっているものである。このことは、縄文時代の生産活動を解明する上で重要である。
国指定文化財(重要文化財)横利根閘門茨城県稲敷市西代地先
横利根閘門は,利根川と常陸利根川を結ぶ横利根川の南端,利根川との合流点近くに位置している。
横利根閘門は,水位調節時の停船場となる閘室と,その両端で門扉を収容する閘頭部からなる。明治33年から昭和5年にかけて行われた,内務省直轄の利根川改修工事で建設された。工事は中川吉造を中心に進められ,大正3年8月に起工,大正10年3月に竣工した。以後,横利根川や,霞ヶ浦沿岸地域の治水,及び利根川流域の舟運発達と地域経済の活性化に大きく寄与した。
横利根閘門は,利根川改修工事における,代表的土木構造物の一つである。設計及び施工の水準が高く,我が国で最大級の規模を持つ煉瓦造,両端を内開きと外開きの二重の門扉とした複閘式閘門である。土木技術史上,煉瓦造閘門の,一つの到達点を示す遺構として,重要である。
国指定文化財(重要文化財)平井家住宅(茨城県稲敷郡新利根村)茨城県稲敷市柴崎155番地
元禄十年代の棟札があったという住宅。寄棟造、茅葺の直屋。 茨城県南部から千葉県北部にかけてみられる変形広間型民家の遺例。同型の民家のなかでは、きわめて貭が良く、仕上げが丁寧である。
国指定文化財(登録有形文化財(建造物))旧植竹庄兵衛家住宅土蔵茨城県稲敷市江戸崎字大日久保甲2354
和館の西北隅に接して建つ、東西棟の土蔵造2階建。桁行3間、梁間2間、平入の切妻造桟瓦葺とし、外壁を目地切りモルタル塗仕上げとする。南面東端に出入口を開き、両妻に庇及び袖壁を付けた窓を穿つ。小屋組を二重梁組とし、力強い意匠である。