七科約説
しちかやくせつ
概要
日本最初の西洋医学書です。1874年(明治7年)浜松県は西洋医学を学ぶために設立した浜松病院の院長として太田用成を招きました。医学書翻訳の必要性を感じた太田は、同僚の柴田しょう平、虎岩武と共にペンシルバニア大学ハツホルン教授が1879年に刊行した「医学大鑑」の翻訳を手がけ浜松にて出版したものです。内容は、解剖・生理学・化学・薬物・内科・外科・産科の七科に及ぶことからこの書名がつきました。
しちかやくせつ
日本最初の西洋医学書です。1874年(明治7年)浜松県は西洋医学を学ぶために設立した浜松病院の院長として太田用成を招きました。医学書翻訳の必要性を感じた太田は、同僚の柴田しょう平、虎岩武と共にペンシルバニア大学ハツホルン教授が1879年に刊行した「医学大鑑」の翻訳を手がけ浜松にて出版したものです。内容は、解剖・生理学・化学・薬物・内科・外科・産科の七科に及ぶことからこの書名がつきました。
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