木村嘉平関係資料
きむらかへいかんけいしりょう
概要
木村嘉平関係資料
きむらかへいかんけいしりょう
歴史資料/書跡・典籍/古文書 / 江戸 / 九州 / 鹿児島県
鹿児島県
江戸
8336点
尚古集成館 鹿児島県鹿児島市吉野町9698-1
重文指定年月日:19980630
国宝指定年月日:
登録年月日:
株式会社島津興業
国宝・重要文化財(美術品)
本件は、薩摩藩主島津斉彬の命を受けた三代木村嘉平が作製した活字類、および活字の製作工程等を知ることのできる印刷器具類の一括まとまったもので、印刷関係遺品として注目されるものである。
製作者の木村嘉平は、幼名を房義と称し、文政六年(一八二三)に江戸神田の小柳町に生まれ、二代目の父・嘉平の死後、一八歳で家業である木版師の三代目を継ぎ、明治十九年(一八八六)に享年六四歳で没した。
嘉平は、書家・渡邊濳蔵について書を学ぶとともに幕末の三筆の一人であった市川米庵などとも出版を通して交流があり、木版師としては当代の名工として知られる存在であった。
『木村嘉平献上 安政年間製活字略傳書類全』によれば、安政元年(一八五四)、嘉平二五歳のときにイギリス人のリンドレイ・マレイ著になる『蘭文英文典』(アムステルダム、一八四六年刊)を斉彬から贈与されたことがうかがわれ、当該の『蘭文英文典』は今に活字類、印刷器具類とともに現存している。
嘉平は、これを機に鉛活字鋳造に取り組むが、鋼鉄製種字を角棒に打ち込む際にこの種字を破損すること、その際に再彫成に多くの時間を要すること、などの理由からさらに創意工夫に励み、開発に取り組んだ。
その後、斉彬の許可を得た嘉平は、江戸三田の薩摩屋敷でオランダ人について学び、「電胎法」を応用して字母の作製を試み、着手から十余年を経た元治元年(一八六四)に至って活字製作に成功をみた。
印刷に際しては、これらの活字を植字機を兼ねる小箱に入れ、薄い木片で区切り、活版を組み、平坦な木片をあてがって圧力を加えて行った。
この活字、印刷器具類の内容は、鉛製和文活字、鉛製欧文活字、蝋石製種字などの活字類、銅製鋳造機、鋼鉄製字母嵌め込み機、銅製角棒などに大別され、それぞれ五箱に収納されている。
伝来の経緯については、前掲『活字略傳書類』によれば、明治十二年の東京神田の大火によって一部が焼失したが、本資料は焼失を免れた活字類などが同四十年十一月に木村家から東京袖ケ崎の島津邸に差し出され、現有に帰したことが判明している。
なお、斉彬から贈与された『蘭文英文典』は、活字類とともに第一号箱に収納されており、活字作製に着手した経緯等に鑑み、活字類、印刷器具類とともにあわせて保存を図ることとしたい。
本件は、製作者、製作経緯、および伝来の明らかな幕末・維新期における活字類、および印刷器具類が一括して現存する代表的な遺例であり、わが国の印刷文化史研究上等に貴重である。