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紙本金地著色洛中洛外図〈/六曲屏風〉

概要

紙本金地著色洛中洛外図〈/六曲屏風〉

絵画 / 安土・桃山 / 中部 / 富山県

富山県

桃山

一双

富山県高岡市中川1-1-30

重文指定年月日:19940628
国宝指定年月日:
登録年月日:

勝興寺

国宝・重要文化財(美術品)

二条城は、慶長七年(一六〇二)五月に修築が開始され、翌年四月には完成していたと考えられるが、これを契機として、以後右京隻の中心に二条城を描く新たな形式の洛中洛外図が数多く制作されている。本屏風は、そのなかで一双が揃ったものとしては最も古い作品として知られるものである。
 左京隻は画面やや上寄りを賀茂川が横切り、その向こうに向かって左手を北として、吉田社、糺【ただす】あたりから南は伏見城までの景観が、賀茂川の手前は向かって左端の内裏から、五条、御影堂までの洛中が描かれる。右京隻は向かって左手を南として、嵐山から鞍馬にいたる西山から北山を背景に二条城、その左に西本願寺と東寺、右に所司代屋敷や北野社などが描かれる。二条城を巡るように、祇園祭の御輿渡御が描かれる。
 景観的には、北野社が修築された慶長十二年(一六〇七)以降、方広寺に鐘楼が建造され、内裏南御門が造営された慶長十九年(一六一四)以前の様相を示している。
 本屏風を蔵する勝興寺は文明三年(一四七一)に現在の福光町に創建されたと伝え、現在の地に移ったのは、天正十二年(一五四八)のこととされる。その翌年から、本寺はこの地を支配した前田家の庇護を受けることとなり、前田家と姻戚関係を結ぶとともに、住職を迎えてもいる。本図は第二十代住職の攝常(天保五年・一八四三歿)に嫁した鷹司准后息女の輿入れ道具と伝えるが、これを裏付ける具体的資料はない。
 本図には必ずしも豊富とはいえないながら、数々の風俗が狩野派の正系をひく絵師によって描かれており、貴重な遺品といえよう。

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