江田船山古墳
附 塚坊主古墳・虚空蔵塚古墳
えたふなやまこふんつけたりつかぼうずこふん
概要
船山古墳は台地上に築かれた前方後円墳で南西に面し封土の総長約47メートルを有する。後円部の中央に口を西に開いた横口式石棺があり前面に短い羨道状の架構を具へている。石棺はその構造頗る雄大整美で蓋は屋根型を呈し、前後面及び側面に夫々一個の縄掛突起を造り出し身は四枚の切石を組合せ、正面右の中央に戸口を穿っている。明治六年に発掘され■帶金具、履、玉類、兜、鎧、刀剣、鉄鉾、鉄鏃、馬具、土器等多数の■篏の銘のある刀身を初めとして各種の裝■の構造の特殊な点及び出土遺物の特異な点に於て我国の古墳の中でも極めて顯著なものであり、古代文化を知る上に重要な遺跡である。又塚坊主古墳は船山古墳の南々西方にあり、前方後円型で後円部の南寄りに天井部を失った横穴式石室が遺存している。虚空蔵塚古墳は船山古墳の南々西方に位置し二段築成の円墳である。
壯大にして整正な墳丘をなし、しかも特殊な外形を示している点に於て特に価値あるものであり、我国の古代文化を知る上に重要な遺跡である。
S51-6-030江田船山古墳附塚坊主古墳・虚空蔵塚古墳.txt: 国見山系に源を発する菊地川の中流域、その左岸には多くの低い台地が発達している。その一つ江田台地には史跡江田船山古墳がある。
この古墳は全長約50メートルの前方後円墳で、後円部に組合式家形石棺が置かれ、とくに銀象嵌銘の鉄製環頭大刀の出土は本古墳を著名にし、昭和26年6月には史跡指定された。既指定地は墳丘部を中心として指定したが、昭和50年に実施された台地一帯の確認調査の結果、幅約20メートルの周濠が墳丘をめぐる事実が判明した。そのためこの地域を追加指定し、古墳全域の保存を図ろうとするものである。