大口筋
白銀坂
龍門司坂
おおくちすじ
しらかねざか
たつもんじざか
概要
大口筋は、江戸期の薩摩藩の主要街道の一つで、もともと小倉筋(西目筋)と東目筋に分けられていたのが、寛永年間(1624〜44)に名称が改められ、小倉筋は出水筋・大口筋に、東目筋は高岡筋(日向筋)となった。大口筋は、鹿児島城下から吉田・姶良・加治木・溝辺・横川・栗野・菱刈を経て大口に至る道である。途中の山道には石畳が敷かれ整備された。白銀坂は、鹿児島市と姶良町にある峠で険しい山道で街道一の難所であった。かっては、薩摩と大隅との国境に位置しており、重要な街道としての面影をよく留め、急坂部に約1.5kmにわたり山中から調達した安山岩質の割石を用いた石畳が残っている。龍門司坂は、加治木町に所在し、寛永12年(1635)に完成し、幅6〜7mの広い道である。元文6年
(1741)に石敷に整備された。白銀坂は平成9年度から整備事業を実施されている。このように薩摩藩の主要街道である大口筋のうち、保存状態が良好な白銀坂分約2.8kmと龍門司坂約500mは、我が国の近世の交通を考える上で貴重である。
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国指定文化財等データベース(文化庁)