旧滝沢本陣
きゅうたきざわほんじん
概要
旧滝沢村は若松城下から東北26町余の白河街道筋にある。滝沢組11か村の郷頭であった横山家が本陣となったのは、寛文年間であるといわれる。
その後、歴代会津藩主の参勤交替、領内巡視、藩祖保科正之をまつる土津神社への参詣に休息所として利用され、戊辰役には、藩主の出陣によって、一時本営となった。
現存する本陣建物は、幕末に藩に提出した指図控えとほとんど一致し、まず街道に南面する御入御門をはいり、前庭をよこぎると、主屋があり、濡縁・入側の奥に御座之間、御次之間、濡縁の西の突きあたりから南に、別棟の湯殿がある。御次之間の西に、式台、御次広間、三之間、御膳仕立所が並び、さらに御茶方之間に連なる。ここが台所となる。指図と多少の相違はあるが、ほとんど原形を保っているのは貴重である。また御入御門は左右の塀に接し、西の塀ぞいに高札場があり、名子屋と通称される建物も、老朽化しているが残っている。これらの諸建物をふくむ旧本陣の敷地を指定するものである。