日吉神社境内
ひよしじんじゃけいだい
概要
S46-01-013日吉神社境内.txt: 日吉社は、[[大山咋神]おおやまくいのかみ]の坐す日枝山を中心に祭祀が発達したものとされ、神体山を取りまくようにある牛尾社と三宮が奥宮社殿を構成している。里宮はこの山麓に形成され、同時に大政所と産屋社が付加されている。
これに対し西本宮は、大三輪神を祭るもので、宇佐宮、白山比〓(*2)社を加え西本宮系三社が成立し、ここに東西あわせて「山王七社」が完成したと思われる。
七社の成立年代は明らかでないが、平安時代に日吉社が天台宗との習合により、延暦寺の守護神として発展すると東・西本宮ともに山王の号が用いられている。中世を通じ、日吉社には本地堂・塔婆・彼岸所等の仏寺施設も設けられ、境内摂社の数もふえたが、織田信長による焼き打ちで荒廃し、その後逐次再建したのが今日の姿であり、日吉社の境内地を指定するものである。