奥飛鳥の文化的景観
おくあすかのぶんかてきけいかん
概要
明日香村の中央部を貫流し大和川へ注ぐ飛鳥川の源流域では、スギ・ヒノキ・サワラが卓越する深い植林地の中に集落・農地が営まれている。奥飛鳥地域の記録は皇極天皇元年(642)に遡ることができ、中世末期には入(にゆう)谷(だに)・栢(かやの)森(もり)・稲(いな)渕(ぶち)・畑(はた)の四大字が飛鳥川上流域のムラとして成立したとされる。地域ではハギやヤマブキなどいわゆる万葉植物の植生も卓越しており、豊かな生態系が育まれている。飛鳥川沿いに展開する河岸段丘面上や山裾、山の緩斜面上には、小規模な集落が展開する。いずれも斜面地に平場を造成するために、飛鳥川の川石や山を切り開いた際に出土した石材を用いた石積みを伴う。集落の中には、急傾斜の茅葺き屋根と緩傾斜の瓦葺き屋根を有した落棟とを組み合わせた大和棟の民家が点在しており、石積みと併せて独特の集落景観を形成している。地域では主に農業が営まれており、特に稲渕では地域でも有数の広さを誇る棚田が形成されている。棚田には15世紀に遡るとされる井(い)手(で)によって水が供給されており、最長3.8kmを誇る大井手をはじめ数10本の井手が耕作者によって管理されている。地域では集落から飛鳥川に降りる階段を設えたアライバが現在も機能しており、また盆迎え・盆送りが飛鳥川を通じて行われるなど、飛鳥川と強く結びついた生活が営まれている。
このように、奥飛鳥の文化的景観は、飛鳥川上流域において展開される、地形に即して営まれてきた居住の在り方と、農業を中心とした生業の在り方とを示す価値の高い文化的景観である。
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