引久保百観音堂棟札
ひきくぼひゃくかんのんどうむなふだ
概要
塩原の地を支配していた君島信濃守との戦いに勝利し塩原城主となった橘伊勢守は、文明14年(1482)に君島氏との戦で戦死した兵の霊を弔うため、引久保の地に、一間四方の観音堂を建立し、寄木造りの本尊薬師如来像・阿弥陀如来像の他に、一木造りで西国観音像三十三体と坂東観音像三十三体を制作し、僧侶や嫡子、村人の名を納め奉納した。
棟札はその事実を記したもので、表には堂の創建、大きさ、願主等が記され、裏面には六十六体の観音像を奉納した人々の氏名が列記されている。
当時の村の様子を窺うことができる、貴重な資料である。