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田原親賢書状及坪付

たはらちかかたしょじょう、およびつぼつけ

概要

田原親賢書状及坪付

たはらちかかたしょじょう、およびつぼつけ

室町

田原親賢/清成山城守資房・竹田津美作守栄之・岡部宮内少輔房清・有永河内守資辰・糸永但馬守幸輔

たはらちかかた/きよなりやましろのかみすけふさ・たけだつみまさかのかみもりひで・おかべくないしょうゆうふさきよ・ありながかわちのかみすけたつ・いとながたじまのかみゆきすけ

1561年(永禄4)

一紙/市丸弾正忠宛

書状 縦20.5×横50cm

2通

大友宗麟の義弟で、当時、妙見岳城督・豊前方分の職にあった田原親賢(紹忍)が、親子にわたる軍労を謝し、宇佐郡内の高家郷2町と常徳1町を宇佐郡の市丸弾正忠に預け遣わした書状。その土地の明細を書きあげた永禄4年(1561)9月20日付けの「坪付」状もセットとしてある。この年、豊前門司城をめぐって大友氏は毛利氏と争っており、親賢書状はこの合戦に参陣した市丸弾正忠の軍労を賞して出されたとみられる。また、「坪付」状は、親賢の書状をうけて清成山城守資房・竹田津美作守栄之・岡部宮内少輔房清・有永河内守資辰・糸永但馬守幸輔の連署で出されており、当該期の親賢の主要な家臣層が分かる内容でもある。

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