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彦根城天守、附櫓及び多聞櫓 附櫓及び多聞櫓

ひこねじょうてんしゅ、つけやぐらおよびたもんやぐら つけやぐらおよびたもんやぐら

概要

彦根城天守、附櫓及び多聞櫓 附櫓及び多聞櫓

ひこねじょうてんしゅ、つけやぐらおよびたもんやぐら つけやぐらおよびたもんやぐら

城郭建築 / 安土・桃山 / 近畿 / 滋賀県

滋賀県

桃山/1606

附櫓及び多聞櫓 各一重櫓、本瓦葺

1棟

滋賀県彦根市金亀町

重文指定年月日:19510922
国宝指定年月日:19520329

彦根市

国宝

彦根城天守、附櫓及び多聞櫓 二棟

 彦根城は井伊家歴代の居城であって、井伊直継(後に直勝と改める)が慶長八年に工を起こし、同十一年(一六〇六)末には本丸及び天守がなり、嗣直孝によって元和八年(一六二二)ほぼ完成をみた城郭である。天守からは慶長十一年の墨書が発見されているが、創築にあたり大津城天守を移建したといわれる。大津城については築造年代も明らかでない。しかし現天守には多数の古材が使用されており、前身平面もほぼ判明するので、この移建説はだいたい認められる。築造後寛政八年(一七九六)屋根修理、天保十二年(一八四一)には補強工事が施され、明治十一年には危うく取り壊しをまぬがれて今日に及んでいる。
 天守は三重三階であって、附櫓及び多聞櫓を従えて一郭をなしている。形態はすでに初期天守の形態を脱しており、屋根の各所に軒唐破風及び千鳥破風を設け、あるいは屋根を段ちがいにするなど巧妙な手法を用いており、三階の高欄及び花頭窓も優れた意匠になる。全体としては規模は大きくはないが、桃山時代最盛期の天守であり、形態がよく整い、意匠も優れていて、わが国城郭建築の代表的遺構の一つである。

【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)

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