彦根城天守、附櫓及び多聞櫓 附櫓及び多聞櫓
ひこねじょうてんしゅ、つけやぐらおよびたもんやぐら つけやぐらおよびたもんやぐら
概要
彦根城天守、附櫓及び多聞櫓 二棟
彦根城は井伊家歴代の居城であって、井伊直継(後に直勝と改める)が慶長八年に工を起こし、同十一年(一六〇六)末には本丸及び天守がなり、嗣直孝によって元和八年(一六二二)ほぼ完成をみた城郭である。天守からは慶長十一年の墨書が発見されているが、創築にあたり大津城天守を移建したといわれる。大津城については築造年代も明らかでない。しかし現天守には多数の古材が使用されており、前身平面もほぼ判明するので、この移建説はだいたい認められる。築造後寛政八年(一七九六)屋根修理、天保十二年(一八四一)には補強工事が施され、明治十一年には危うく取り壊しをまぬがれて今日に及んでいる。
天守は三重三階であって、附櫓及び多聞櫓を従えて一郭をなしている。形態はすでに初期天守の形態を脱しており、屋根の各所に軒唐破風及び千鳥破風を設け、あるいは屋根を段ちがいにするなど巧妙な手法を用いており、三階の高欄及び花頭窓も優れた意匠になる。全体としては規模は大きくはないが、桃山時代最盛期の天守であり、形態がよく整い、意匠も優れていて、わが国城郭建築の代表的遺構の一つである。
【引用文献】
『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)