高山城跡
こうやまじょうあと
概要
一に山の城とも称せられ肝付代累代の居城にして建武二年肝付兼重勤皇の義兵を擧ぐるや初め日向國三俣院高城を根據とせしが城陷るに及び此の城を據點として賊軍を抑へよく盡忠の誠を致せる所なり、城は丘陵を利用して営まれたるものにして前面に本城川を控へ左右に溪流を擁して天然の要害を占め本丸は北方の項上にありて背後は峻險なる断崖に接せり、城内に門阯、土壘、濠阯礎石等の遺構を存して略々舊規を見るに足れり。
こうやまじょうあと
一に山の城とも称せられ肝付代累代の居城にして建武二年肝付兼重勤皇の義兵を擧ぐるや初め日向國三俣院高城を根據とせしが城陷るに及び此の城を據點として賊軍を抑へよく盡忠の誠を致せる所なり、城は丘陵を利用して営まれたるものにして前面に本城川を控へ左右に溪流を擁して天然の要害を占め本丸は北方の項上にありて背後は峻險なる断崖に接せり、城内に門阯、土壘、濠阯礎石等の遺構を存して略々舊規を見るに足れり。
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