散木奇歌集
さんぼくきかしゅう
概要
『散木奇歌集』は平安時代後期の代表的歌人であった木工頭源俊頼(一〇五五-一一二九)が、晩年に自詠を集大成したもので、その構成は勅撰集にならって春部以下、整然と部立しており、また所収歌集の多い点などで注目される私家集である。
この冷泉家本は、安貞二年(一二二八)、当時六十七歳であった藤原定家が帖首を自ら書き、以下を雇筆にて書写させた本で、体裁は綴葉装枡型本、墨流しの原表紙に定家の筆で「源木工集」と外題を墨書している。本文料紙は斐交り楮紙で、内題を「散木奇謌什巻第一」(巻第二以下は「散木強謌(哥)集)」とする)と掲げ、各巻「春部」等の部立があり、本文は半葉九~十二行、和歌は一首二行書きに書写している。各部の末には「已上百九十首」のように所収歌数を記し、末には総歌数を「都合一千五百二十九首、加連哥定也」と記している(ただし、実際の所収歌数は千五百十四首)。本文は首に二紙の遊紙をおいて、第三丁表より書き始め、一丁半余は藤原定家の筆にかかり、以下は別筆だが一人の筆になる書写と認められる。文中、脱文の補入、集付等の注記、墨書および朱書の訂正等があるほか、ごく一部の歌には朱の声点が付されている。これらの書き入れは数人の筆になるが、藤原定家によるものも多い。帖末には安貞二年八月の藤原定家の書写一見奥書があり、家本(先妣=美福門院加賀の自筆本)を失くしたので、その本からの写本である前亜相(前大納言)の本を借りて書写した旨を記している。
この冷泉家本は、これまで通行の『散木奇歌集』の伝本にくらべて、他の諸本で巻第五に収める祝部、別離部、旅宿部を、巻第五、第六、第七に分けるなど巻次構成が異なり、また他の諸本で百二十首余を収める釈教部が本帖では二十六首のみであるなど異同が多く、他の諸本と系統を異にする写本として、国文学研究上に注目される。
所蔵館のウェブサイトで見る
国指定文化財等データベース(文化庁)