白地花筏模様縫箔
しろじはないかだもようぬいはく
概要
繻子地に桜の折枝と筏を肩裾に縫い表し、流水と腰明き部分を区切る松皮菱を金泥で描き表す。桃山時代の刺繍表現を残しながら、生地の選択や仕立てに江戸前期の要素が見られる。また薄くなった摺箔の下に、摺箔の指示を意味する「金」の墨書があるなど資料的にも貴重なもの。
花筏の意匠は、吉野川に散った桜の花弁が連なって流れる様子を、文字どおりに花と筏で表したもので、桃山から江戸時代の工芸品に多く見られる。特に豊臣秀吉の正室北政所が秀吉の菩提を弔うために建立した京都高台寺の霊屋内部の装飾はその代表ともいえるもので、高台寺蒔絵として有名。ここには花筏と雅楽器が蒔絵され、吉野天人の舞楽を表すものと考えられている。小鼓に花筏蒔絵が多いのも、能〈吉野天人〉にちなんだためであろう。
【参考文献】長崎巌「新収蔵品「白繻子地花筏模様縫箔」に関する調査報告」『国立能楽堂調査研究』vol.2 2008年