旧永島家襖絵〈曽我蕭白筆/〉
きゅうながしまけふすまえ
概要
本作品は、現状では一五面分が掛幅装に改装されているが、もと伊勢市斎宮の旧家永島家の障壁画であった。同家の言い伝えによれば、蕭白が滞在した折に新築された座敷の襖に描いたという。現存する画面はそのすべてではないが、画題のうえでは山水・人物・花鳥・走獣の各分野にわたっており、障壁画としての主要な構成をなお保持しているといえる。もと襖四四面分という数量は、曽我蕭白の作品中でも最大規模の遺例であり、画題は前記のごとく多様、技法のうえでも「牧牛図」のような指頭画としては珍しく気宇の大きい画面を含み、蕭白の画域の広さを示している。
「山水図」は南側の上段之間、「竹林七賢図」は北側上段之間を飾っていたと思われ、「竹林七賢図」のうち四面は裏面が「禽獣図」なので、北側の次之間には走獣が中心に描かれていたと思われる。また、「竹林七賢図」の残り四面は裏面が「波濤群禽図」となっているので、北側上段之間と南側上段之間の間にある四畳間に「波濤群禽図」が描かれていたことがわかる。その他の画面は当初の配置が不明であるが、花鳥画である「松鷹図」は「山水図」の次の間であったと考え得る。指墨画である「牧牛図」は「酔指画」と款するところからも格式の高い室ではなく、下段のいずれかの室であっただろう。
蕭白の生涯に関する資料は限られており、制作時期のわかる作品もきわめて少ないが、本図は三五歳の「群仙図」屏風(京都府・個人蔵)と描法、款記のうえで近似し、近郊の松阪に伝来する「唐獅子図」の款記とも近いので、蕭白が伊勢地方を遊歴したといわれる三五、六歳ころの作と考えられる。蕭白最盛期の円熟した作風によるまとまった障壁画作例として貴重である。