蛇塚古墳
へびづかこふん
概要
S51-12-014[[蛇塚古墳]へびづかこふん].txt: 山城盆地は、かつて中央部に巨椋池が横たわり、桂川などの多くの河川が流れ込み、淀川となって流れ出していた。各河川の要所には古式の古墳を含む古墳群が形成され、開拓の進展状況も示している。一方、後期の古墳群として最も大規模なものは嵯峨野地域にその中心の一つを持っている。この地域の特色としては、前期の古墳が今のところ認められず、6世紀代以降の古墳が集中する点にあり、この一群の中心となるが天塚、清水山古墳、蛇塚古墳の3前方後円墳である。
蛇塚古墳は、嵯峨野で最大の規模をもつ後期古墳であり、かつ、巨石を用いた横穴式石室を設けていることで著名である。本古墳は、大正9年ごろには墳丘の一部を残していたが、宅地化により封土が失われ、昭和11年に京都帝国大学考古学研究室が調査を実施している。
失われた墳丘を諸資料から復原すると前方部を西南方に向けた全長約75メートルの前方後円墳と復原され、今も宅地の区画にその形跡を残している。石室は後円部に設けられ、東南方に開口している。羨道を含めた石室の全長は17.8メートル、玄室は奥行6.8メートル、幅3.8メートル、高さ5メートルを越える。側壁、奥壁とも2〜3段に巨石を用いており、天井石は一石を除いて失われている。
この古墳の石室は、奈良県の石舞台古墳等と比較されるものであり、7世紀代に属するものとみられる。代表的な巨石を用いた石室としてだけではなく、山城の地に繁栄したとされる秦氏等を考える上でも重要な古墳といえよう。