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浅春

せんしゅん

概要

浅春

せんしゅん

日本画

児玉希望  (1898(明治31)年-1971(昭和46)年)

コダマ・キボウ

昭和5年/1930年

絹本彩色

266.0×176.0

【作品解説】
深い群青であらわされた淵と峻厳な岸辺の岩を中心に、渓谷に訪れた春を描く。画面奥には鬱蒼と茂る森。赤茶色の木々や枯木が冬を表し、手前の岸辺には白梅の花を配することで、冬から春へと移ろいゆく季節の変化が対比的に表現される。
本作には彩色と様式において大和絵研究の成果が、写実性には実物観察に基づく西洋美術への志向がうかがえる。装飾性と写実性という、相反する要素が統合されたダイナミックな作品といえよう。絵巻物の中の風景の一部がクローズアップされ、立体化したような奇妙な実在感が、その画面の大きさと相まって見る者に迫る。筆遣いは冴え冴えと、画面の隅々までゆるがせにしない気迫に満ちている。
川合玉堂や松岡映丘に師事した児玉希望は、古典研究に基づく山水画や花鳥画で確かな画業を修めた。大家となったのちも、色鮮やかな洋画的表現や、抽象画にも見える水墨画で、生涯、新たな画風に挑み続けた。本作は、そんな希望の若き日の意欲作である。

【作家略歴】
1898(明治31)
広島県高田郡(現・広島県安芸高田市)に生まれる

1913(大正2)
私立三原教員養成所を卒業、広島県内にて代用教員として勤務

1918(大正7) 
上京し、川合玉堂の長流画塾に入門。この頃、本郷洋画研究所に通い、油彩画を学ぶ

1921(大正10) 
第3回帝展に《夏の山》を初出品、入選となる。以後、第8回帝展まで毎年出品、入選

1928(昭和3) 
玉堂門下生らによる戊辰会の立ち上げに参加、第1回戊会展に出品、以後1939年まで毎年出品
第9回帝展で《盛秋》が特選受賞(第11回展でも特選)

1931(昭和6)  
この頃から南画に関心を抱き、作詩に専念

1932(昭和7)  
第13回帝展の審査員となる。以後、改組帝展・新文展・日展においてもたびたび審査員を務める

1937(昭和12) 
児玉画塾展を開設

1943(昭和18) 
日本美術及工芸統制協会が設立され、理事長となる

1950(昭和25) 
伊東深水、矢野橋村らと日月社を結成

1953(昭和28) 
前年の《室内》で第9回日本芸術院賞受賞

1957(昭和32) 
渡欧(ローマ、パリを中心に約1年間滞在)。イタリア・フランスなどで児玉希望個展が開催される

1958(昭和33) 
日本芸術院会員となる

1959(昭和34) 
個展にて現代的な抽象性を取り入れた《新水墨十二題》を発表

1961(昭和36) 
日展常務理事となる

1971(昭和46) 
《百花百鳥図》を制作中に急逝

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児玉 / 希望 / 玉堂 / 広島

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