大野窟古墳
おおののいわやこふん
概要
大野窟古墳は熊本県中央部、標高50〜60メートルの台地上に位置する墳長123メートルの前方後円墳である。古墳の存在は既に室町時代から知られており、古墳の存在を示す最古の文字資料は明応6年(1497)にまで遡り、明治時代以降も石室の略測や実測が行われてきた。その後、平成15年度から20年度にかけて、氷川町(旧竜北町)によって実測及び発掘調査が行われた。その結果、墳丘は2段築成で、前方部前面がやや突出する剣菱形に近い形状をなすことが明らかとなった。また、墳丘の周囲には盾形の周濠が巡ると推定され、後円部側では幅12約メートルとなる。しかし、前方部前面側については土坑が周濠状に並ぶ特殊な状況を示している。それらの土坑の一つからは、20点以上の須恵器がまとまって出土しており、その場において何らかの祭祀が行われたことが窺える。須恵器の中には大甕や高杯、器台などのほか、新羅系の陶質土器も含まれており、注目される。このほか、墳丘周辺からは阿蘇溶結凝灰岩製の笠形石製表飾も出土している。
埋葬施設は複室構造をもつ両袖式の横穴式石室で、西側くびれ部に向けて開口している。玄室長が5.2メートル、玄室幅3.0メートル、玄室の天井高が6.5メートル、前室長1.9メートル、前室幅2.1メートル、羨道長3.5メートルである。天井部の形状は頂部が平たいドーム状を呈する。なお、この玄室の天井高は国内最高である。玄室奥には凝灰岩製の刳抜式石棺を置き、その上部には幅1.9メートルの石棚が、玄室奥壁よりせり出すように設置されている。玄門寄りの左右には、同じく凝灰岩を用いた屍床をそれぞれ1基ずつ構築している。玄室については発掘調査が行われておらず、また過去の文献の中にも記載がないため、副葬品については不明である。
古墳の築造時期については、横穴式石室の構造や、墳丘から出土した須恵器の年代から、6世紀後半と推定される。その規模は、古墳時代後期の九州において、福岡県八女市の史跡岩戸山古墳(墳長138メートル)に次ぐもので、全国的に見ても有数の規模である。
このように大野窟古墳は、古墳時代後期の九州を代表する前方後円墳であると共に、国内最高の天井高をもつ横穴式石室を築くなど、当該地域の首長墓の状況を如実に表す貴重な事例である。よって史跡に指定し、その保護を図るところである。