仰渡書付
おおせわたしかきつけ
概要
仰渡書付
おおせわたしかきつけ
享保元年 閏2月5日/1716
紙本墨書
縦16.4cm 横232.0cm
1紙
佐賀市松原2丁目5-22
公益財団法人鍋島報效会
4代佐賀藩主鍋島吉茂が、藩内に仰せ渡した内容を示す(享保元年=1716)閏2月5日付の資料。「殿様(吉茂)は50歳を過ぎたため嫡子を定めなければならない。そこで主膳殿(宗茂)をこの秋の参府に同道し、「御世継」に願い出ようと思し召されている」。すなわち吉茂は、佐賀藩で「親類」と呼ばれる重臣の神代家(くましろけ)に養子に出ていた弟の宗茂を藩主家に引き戻して養子に迎え、世継ぎに据えることを発表したのである。
本資料では、この仰せ渡しを受けた対象ごとに、(1)御家中、(2)神代家家老、(3)加賀守殿家老、(4)甲斐守殿家老、(5)和泉守殿家老の5項目に分けて記載されており、宗茂が当主となっていた神代家のみならず、小城鍋島家・蓮池鍋島家・鹿島鍋島家の3家にも通達されている。なかでも蓮池鍋島家だけに限り、「了関様(2代蓮池藩主鍋島直之)・甲斐守様(3代蓮池藩主鍋島直稱)へ昨日大木兵部を以て御相談成られ候」とあり、吉茂は事前に相談をしている。3家のうち、この時点で勝初代藩主鍋島茂の孫(直之・直稱とも、勝茂3男直澄の子)が存命だったのは蓮池鍋島家だけあり、勝茂の曾孫にあたる吉茂にとって特別な配慮が必要だったのだろう。