旧成清博愛別邸庭園(的山荘庭園)
きゅうなりきよひろえべっていていえん(てきざんそうていえん)
概要
馬上金山(ばじょうきんざん)(大分県杵築市(きつきし)山香町(やまがまち))の開発・経営により財を成した成清博愛(1864~1916)は,大正初期に別府湾に臨む旧日出城(ひじじょう)三の丸跡の高台に別邸を構え,木造数寄屋風の建築群及び独特の意匠・構成の庭園を造った。昭和39年(1964)には,「鉱山を当てる」の意味を持つ博愛の雅号「的山」に因んで孫の信輔(のぶすけ)が「的山荘」と名付けて料亭を開業し,それ以来,庭園は「的山荘庭園」として知られるようになった。
主屋・離れ棟の座敷周囲に鉢前(はちまえ)を設けて飛石を配置した書院庭,傾斜面に造られた段畑状の石積み,芝生地及びコンクリート・景石を組み合わせた流れ・池泉,借景とした別府湾及び対岸の高崎山等の山容などに,本庭園の意匠・構成の特質が見られる。
大正期の庭園に見る共通の特質及び立地を生かした独特の意匠・構成を示し,鉱山経営の拠点として造営の社会背景にも特質がうかがえることから,別府地方の造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。
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国指定文化財等データベース(文化庁)