陸奥国津軽郡之絵図(正保国絵図写)
むつのくにつがるぐんのえず(しょうほうくにえずうつし)
概要
江戸幕府による国絵図徴収事業は、大きく、慶長・正保・元禄・天保の4度行われた。ただし、慶長期は、西日本諸国の大名のみが対象とされたようである。
この国絵図は、弘前藩が正保2年(1645)に幕府に提出した正本(清絵図)と副本の写である。正保国絵図は、正本・副本とも明暦の大火(1657)等で消失し、現存していない。弘前藩では貞享2年(1685)に幕府に提出した正保国絵図の控から写を作成した。それがこの絵図である。幕府の示した基準に従って藩が作成したものであり、縮尺・色・形・記載内容とも、正本・副本と全く同じものと考えて良い。一つだけ違うのは、城下弘前を「○」で囲んで表している点である。幕府へ提出した正本・副本は、城下を「□」で囲んで表すよう指示されていた。いずれにしても、弘前藩が公的に作成した国絵図としては、現存する最古のものであり、津軽領全体を描いた絵図としても、最古級のものと考えられる。