八幡宮御祭礼画図
はちまんじんじゃごさいれいがず
概要
幕末の吉田秋祭り(現宇和島市)が描かれた絵巻。人形屋台、牛鬼など南予の祭礼文化を代表する練物が描かれる。巻末に「松本才次郎源道和為武運長久祈願描了慶應三年丁卯歳菊月吉日」とあり、吉田秋祭りを描いた絵巻の中で、紀年銘入りのものでは現存最古である。吉田秋祭りの絵巻は、天保6(1835)年成立の森太左衛門筆があるが、原本は大正時代以降、所在不明であり、その写本は数点確認されている。宇和島藩伊達家旧蔵本、利根本(平成28年所在確認)等があり、当館蔵本(大正5年写)もこの系統である。本資料は、天保6年系統とは内容に違いが見られる。まず描かれる人数が異なる。天保6年本では248人、慶応3年本では397人と約1.6倍になっている。これは江戸後期から末期に祭礼行列が盛大になった事を示す。また、鹿踊りが天保6年本では五ツ鹿で描かれるが、本資料には七ツ鹿で描かれている。現在の鹿踊り(立間の鹿の子)は七ツ鹿であり、昭和初期の写本では七ツ鹿で描かれているため、従来、明治時代から昭和初期に、五ツ鹿を七ツ鹿に改めた(宇和島では大正11年に五ツ鹿を八ツ鹿に改めている)と推定されてきたが、この絵巻の内容から、七ツ鹿になったのは天保6年からの約30年間だったと推定できる。