鹿野武右衛門家資料
しかのぶざえもんけしりょう
概要
鹿野武右衛門家資料
しかのぶざえもんけしりょう
山形県
江戸初期~昭和時代/1662年~1944年
鹿野家は新吉田村の開発地主であり、江戸時代を通じて代々庄屋を勤め、明治以降も引き続き戸長・村長・郡会議員などの要職にあったから、当然のことながらその関係資料が多くなっている。即ち、年貢・租税関係、土地関係が圧倒的で、全体の半分以上を占めている。続いて村政関係、戸籍、新庄藩からの御用・通達が目立つ。中でも「御用留」は正徳四年(一七一四)から明治四年(一八七一)に至る一三九点、「宗門人別帳」も元禄十三年(一七〇〇)から明治五年(一八七二)迄の一〇五点と、ほぼ完全な形で残っている。これらの資料の一部は、これまで『戸沢藩御触書類纂』(一~五集)や『河北町史資料・鹿野家文書』(上、下巻)の形で発刊されている。
3412点
山形県西村山郡河北町谷地所岡三丁目1番地10
河北町指定
指定年月日:20130523
河北町
有形文化財(美術工芸品)
この資料は、平成二十二年(二〇一〇)八月に町内の鹿野家より河北町に寄贈されたものである。これらの資料は、鹿野家が江戸時代以来三五〇年間自宅の土蔵に所蔵してきたもので、昭和六十年(一九八五)に山形県史編纂室の手で整理され『山形県史料所在目録・第四集』として紹介された。寄贈された機会に、町誌編纂委員会では一点一点を改めて点検・整理し、その結果を『新吉田村・鹿野武右衛門家資料目録』(一二三頁)にまとめ、平成二十四年(二〇一二)九月に発刊した。なお、資料は現在、図書館の閉架書庫に納められている。