平敷屋製糖工場跡
へしきやせいとうこうじょうあと
概要
平敷屋製糖工場は,昭和15年(1940),勝連平敷屋地域の11組の旧サーターヤー組が合併して新設された共同製糖工場であり,沖縄本島中部の東海岸に面する勝連半島先端の南側,丘陵斜面地に位置する。昭和戦前期の沖縄では,甘蔗圧搾(かんしょあっさく)に畜力(ちくりょく)を用いる伝統的な在来製糖場と,機械を用いる改良製糖場が共存していた。また,昭和3年(1928)以降,共同製糖場を新設する製糖組合に対し補助金が交付されるようになり,共同製糖場設立が促進された。そうした背景のもと,蒸気を原動力とし,共同製糖場の経営方式をとる平敷屋製糖工場が設立された。『平敷屋字誌』等によれば,工場建物は南向きで,その前面に3基の煙突が立ち,煙突の一つは蒸気機関(45馬力)のボイラーにつながり,燃料には石炭を使用したとされる。昭和19年(1944)10月の那覇空襲以降,工場は操業できず,その後,米軍の攻撃により破壊された。現在,工場跡には煙突1基,貯水槽1基が残存する。煙突は煉瓦造,高さ16.3m,煙突表面に銃痕が残るが保存状態は良好である。貯水槽はコンクリート造,深さ約3.0mである。戦前の沖縄の製糖業の歴史と技術の展開を考える上で価値のある遺跡である。
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国指定文化財等データベース(文化庁)