文化遺産オンライン

橘樹官衙遺跡群

たちばなかんがいせきぐん

概要

橘樹官衙遺跡群

たちばなかんがいせきぐん

史跡 / 飛鳥 / 奈良 / 平安 / 関東 / 神奈川県

神奈川県

7世紀~10世紀

神奈川県川崎市

指定年月日:20150310
管理団体名:川崎市(平28・2・3)

史跡名勝天然記念物

標高約40mの多摩丘陵の頂部に立地する武蔵国(むさしのくに)橘樹郡家(たちばなぐうけ)(郡衙(ぐんが))正倉跡(しょうそうあと)と考えられる千年伊勢山台(ちとせいせやまだい)遺跡と評(ひょう)の役所の施設の可能性のある掘立柱(ほったてばしら)建物跡なども検出された郡寺跡(ぐんでらあと)である影向寺(ようごうじ)遺跡からなる。千年伊勢山台遺跡では,評の役所の成立直前から郡家正倉廃絶に至る4時期の変遷が確認された。遺跡は7世紀後半に大壁建物(おおかべたてもの)が造られることを契機に,7世紀後半から8世紀には,規則性をもって配置された総柱(そうばしら)建物4棟と側柱建物6棟が造られ,8世紀前半には,建物の主軸をほぼ真北にそろえる少なくとも13棟の総柱建物が造られる。これらの建物は9世紀中頃には廃絶しており,評と郡の正倉の構造の違いや,本格的な郡家正倉へ整えられていく様子がうかがえる。
郡寺は,7世紀後半から8世紀前半に創建され,8世紀中頃には塔(とう)の造営と金堂(こんどう)の改修が行われ,10世紀初頭まで補修が行われていたことが確認されている。出土瓦などから,南武蔵の中心的な寺院であったと考えられる。
地方官衙の成立から廃絶に至るまでの経過をたどることができる希有な遺跡であり,その成立の背景や構造の変化の過程が判明するなど,7世紀から10世紀の官衙の実態とその推移を知る上で重要である。

関連作品

チェックした関連作品の検索