山元遺跡
やまもといせき
概要
新潟平野の北部に接する村上丘陵に所在する弥生時代の集落跡。遺跡は最高所で標高約40m,周囲との比高36m前後に位置する。日本海沿岸東北自動車道建設に伴い発見され,重要な遺跡であることが判明し現状保存の措置が執られた。
遺跡は比高約6mの谷を隔てて居住域と墓域から成る。丘陵頂部の居住域には,幅2m弱,深さ1m,断面逆台形の溝(環濠(かんごう))がめぐり,その平坦面では掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)・竪穴建物(たてあなたてもの)各1基を検出した。墓域では,土坑墓(どこうぼ)17基,埋設土器4基等を確認し,完形のガラス小玉68点,小型鉄剣1点は副葬品と考えられる。土坑墓の近くから確認された筒形銅製品の破片は弥生時代の青銅器の最北事例であり,東海地域の集団との関係を示唆する。出土した土器は弥生時代後期の東北系弥生土器である天王山(てんのうやま)式土器を主体とし,中期後葉の東北系・北陸系土器,後期の北陸系土器や続縄文土器もある。石器としては,打製石鏃(せきぞく)・石錐・楔形石器・磨製石斧・磨石(すりいし)類・砥石などがある。
弥生時代後期を最盛期とし,北陸文化圏と東北文化圏の接点に所在する環濠集落であり,現在のところ日本海側最北の高地性環濠集落である。居住域と墓域がセットで確認され,弥生時代の集落の様相を知る上で貴重な事例で,広範囲にわたる地域の集団と関係があった。東日本における弥生時代後期の社会及び文化のあり方を知る上で重要である。