平戸領地方八竒勝(平戸八景)
髙巌
潜龍水
石橋
大悲観
巌屋宮
福石山
潮之目
ひらどりょうじかたはっきしょう(ひらどはっけい)
たかいわ
せんりゅうすい
いしばし
だいひかん
いわやぐう
ふくいしやま
しおのめ
概要
平戸藩第10代藩主の松浦熈(まつらひろむ)(1791~1867)は,平戸往還(平戸街道)の周辺に所在する8か所の風景地を選び,弘化4年(1847)に「平戸領地方八竒勝(ひらどりょうじかたはっきしょう)」と名付けた。熈は画工の澤渡廣繁(さわたりひろしげ)に作画を命じ,嘉永元年(1848)に解説を付して『平戸領地方八竒勝図』を完成・刊行させた。島嶼以外の本土の陸地である「地方(じかた)」の中から選んだ8つの風景地は,書画を通じて一体の風致景観として確立し,近世から近代にかけて「平戸八景」の呼称の下に多くの旅行者や行楽・参詣の人々が訪れる名所へと発展した。
髙巌(たかいわ)・潜龍水(せんりゅうすい)・石橋(いしばし)・大悲観(だいひかん)・眼鏡石(めがねいし)・巌屋宮(いわやぐう)・福石山(ふくいしやま)・潮之目(しおのめ)の8か所から成る風景地のうち,今回指定の対象とするのは3か所である。滝壺から龍が頭を表したように見えたことから熈が命名した潜龍水,高さ約22mの砂岩の垂直岩面に熈の揮毫(きごう)による大文字を彫り込んだ大悲観,間口約60m,高さ約4m,奥行き約5mの砂岩の巨大洞窟に五百羅漢仏のうちの142体が残る福石山である。これらの独特の樹叢・地形から成る一体の風致景観は,日本人の風景観に大きな影響を与えた八景の発展・定着の過程を示し,観賞上の価値及び学術上の価値が高い。
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国指定文化財等データベース(文化庁)