大山道の道標
おおやまみちのどうひょう
概要
大山へ向かう街道は、通称「大山道」と呼ばれ、関東各地から大山へ向かう参拝者が通った道である。その大山道には、街道沿いや辻に、参拝者を案内する道標が建てられた。大山詣りの道中や街道の様子を描いた江戸時代の浮世絵にも「大山みち」と彫り込まれた道標を見ることができる。
造立年代が確認できる市内に残された最古の道標は、江戸時代の寛文6年(1666)である。最も集中する時期は江戸時代の中期、18世紀の中頃で、大山詣りが盛んとされる時期とも一致する。その後は江戸時代を通じて建てられ続け、数を減らしながらも明治時代にまで引き継がれている。道端に新設された道標としては大正7年(1918)が最後となる。徒歩で大山へと向かうことが減ってきた結果と考えられる。
大山道の道標にはさまざな石塔と一体となっているものが認められるが、そのなかでも庚申搭との結びつきが最も強い。また、大山詣りとの深い結びつきを感じさせる上部に不動明王を載せる道標もあり、中には不動像と搭身部が一体で掘り出されているものもある。