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巻菱湖法帖仕立「行書・青葱館記」

せいそうかんき

概要

巻菱湖法帖仕立「行書・青葱館記」

せいそうかんき

/ 江戸 / 明治 / 日本

巻菱湖  (1777~1843)

まきりょうこ

江戸時代後期

巻菱湖54歳の書で「行書・青葱館記」の拓本。掲載品は、法帖仕立になっている。

この青葱館記は、巻菱湖が30代の頃から親交のあった現・新潟県新発田市の市島家より新発田藩士の丹羽悳に撰文を巻菱湖に書を依頼したもので、扁額彫刻となっており「青葱館記 扁額」は現在でも市島家(新発田市島邸)にて所蔵保管されている。一説には、江戸で作らせたこの扁額の拓本を欲しがる者が続出し、市島家に扁額が届く前に拓本が出回ったともいわれている。

青葱館とは市島家の屋敷のことである。

巻菱湖法帖について
長年、菱湖の法帖は 200 種類以上刊行されたといわれてきたが、ようやくその全貌に近づ いている。北川博邦氏が平成 22 年に「巻菱湖法帖目録」を刊行したことが大きい。目録に は北川氏が知る全ての菱湖法帖を記し、その全てにタイトルも付けている。それに足して 平成 25 年時点では 156 種にタイトルがついている。この他にも、北川氏と巻菱湖記念時代館のタイトル不明のものが合計で 20 種以上は確認されていることから、180 種は確実に刊行されたことになる。これは 1 回分の刊行の話であり、当然版を変え、繰り返し刷られたものもあれば、1 回の刷で刊行をやめてしまったものもあるかと思う。その繰り返し刷られ、刊行年の違うものや版元(出版社)が違うもの、それに加え刊行形態(折帖・冊子) の違うものも含めると 500 種程に分けることが出来る。なぜここまで多くの菱湖法帖が刊行されたかというと、大前提として菱湖流が菱湖没後も流行り、主流であったという事が あるが、没後に弟子たちが持っていた肉筆の手本を刊行したであろうことと、明治に入り国の教科書に菱湖風が用いられたことも一つの要因であろう。

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キーワード

法帖 / / / 刊行

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